ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

東日本大震災

 3月11日午後2時50分(自分の見た時計)、東日本大震災を自宅マンション付近の路上で経験しました。
 私は鉄欠乏性貧血とビタミンB12欠乏性巨赤芽球貧血の二つを持っていて、ふらふらしやすい性質なので、最初はそれがひどくなったのかと思いました。松戸から北松戸までの道程を疲れた足を引きずりながら帰って来たからです。
 しかし周囲の光景を見ると全然違いました。道路が激しく揺れ、ちょうど道横の工場では工員さんたちが木にしがみついており、工場の非常ベルが鳴っていました。そこでこれが地震と分かったわけですが、しばらくの間工場のフェンスにしがみつき、危険なものが飛んで来ないか警戒していました。
 阪神大震災を姫路の北で経験しているので、それに匹敵する揺れでしたが、比較的冷静に静まるのを待つ事が出来ました。
 それからすぐ近くにある自宅マンションまで走って行き、まず遠くから火の手がバルコニーで上がっていないのを確かめて、中に入りました。既にエレベーターが自動的に止っていたので、6階の自分の部屋まで階段で上り、中に入ったところ、食器戸棚の陶器やガラス製品が飛び散り割れているのが見えました。次に別の部屋に行ったら、本棚が倒れ本があちこちに飛んでいました。書類等はバラバラに広がり、バルコニーまで出られない有様でした。
 私は防火管理者でもあるので、まず気を鎮めてコーヒーを飲んでから他の階の方々の安否を確かめようとしました。幸い電気は大丈夫、ガスも最初は火が点き(残っていたガスの為で、すぐ後使えなくなり、解除ボタンを押す羽目になりました)、まず飲んでから部屋を飛び出しました。
 まず見た光景は同じ防火管理者の資格を持つ人が9階の高齢者を1階まで抱えて、非常階段を降りるところでした。そこで私は別の一人住まいの高齢者宅を訪ねて安否確認を行いました。皆様やはり諸々の器具が倒れた事を述べられましたが、幸いどなたも怪我がありませんでした。
 ガスは自動的に遮断されたので、爆発炎上の危険はありませんでした。でも多くの方々からガス管の亀裂や臭いがしないので、早く復旧の方法をガス会社から訊いて欲しいという要望が出ました。しかしその方法を知っている方がおられ、私も覚えて多くの方々のガス復旧の為に尽力する事が出来ました。
 まもなくガス会社の方がパンフレットを持って来てくれたので、必要な方々に渡したり提示したりして分かって頂きました。
 ただこうした巨大な規模の地震を直接経験した事がなく、怖くて一人では居られないという方々が多く、1階の集会室を開放して休んで頂きました。
 電車が止まり、帰宅出来ない方々が続出したので、ガス復旧の事も伝える為、夜中の1時半まで集会室で粘りました。
 こうした事を考えると、有名な寺田寅彦の「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉を噛み締めながら、聖書の戒めをもう一度確認したのでした。
 「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます」(マタイ24:35−36)。
 私たち信徒はいつも目を覚まして、主イエス・キリストの不意の再臨に備えていなければなりません。その前兆の「しるし」として、今回のような大地震があるのです。今はただ被災地の安寧の回復を祈るばかりです。