ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

原発事故で東電は過去に何をして来たのか、どんな責任があるのか

 東京電力福島第一原発地震による損壊では、3月12日に水素爆発を起こした1号機、14日に同じ爆発を起こした3号機の残骸が脚光を浴びる中、2号機、4号機がやや地味な扱いになっています。20日の報道によれば、1号機は米国のジェネラルエレクトリック社、2号機はそこと東芝の共同、3号機は東芝単独、そして4号機が日立製作所が建設し、その維持には各社協力のもと、東電が担って来ました。
 今度の事故では15日に4号機で火災があった為、監視の為に東芝、日立などの50人が残りましたが、ニューヨークタイムズ電子版を見ますと、彼らはFACELESS50つまり無名の50人技師として、その勇気ある行動が称えられています。朝日では「フクシマ50」と報道されています。
 一方で東電は被害状況でも、計画停電でも、正確な情報を的確に伝えずもたもたしており、はなはだ評判がよくありません。
 なぜなのでしょうか?
 国を挙げての原子力発電の推進には、既に大学闘争後の1975年から原子力資料情報室を設立した高木仁三郎氏の鋭い批判があり、ジャーナリストの広瀬隆三氏が高木氏亡き後反対活動を続けています。
 しかしそうした人々とは違い、今度の4号機の原子炉圧力容器を設計した日立の田中三彦氏の名前を忘れるわけには行きません。田中氏は原子力行政を批判した為に日立を追われたわけではありません。設計から出来上がった圧力容器の安全性問題で、日立や東電の対応に忙殺されて疲労し、会社を辞めた事になっています。でも裏には日立の隠微な退職への圧力があったように思えてなりません。
 つまり田中氏の代表的著作である『原発はなぜ危険か』(岩波新書)を詳しく読めば、その事実が否定出来ないからです。
 この本の冒頭で田中氏は4号機原子炉圧力容器の大きな歪みを問題にしています。かつて私は大学闘争後しばらく日産の下請け工場で板金などの仕事に携わった事があるので(結局モノにはならず、ベンダーという曲げ機が扱えるようになっただけでした)、溶接作業を行なうと必ずゆがみが生じ、残留応力が生じる為に、それを除去する焼鈍作業というものがあるのは知っていました。
 日立はこの作業で大失敗をしてしまいました。歪んだ容器を是正する為、田中氏はIBMのスーパーコンピューターを用いて膨大な計算をしました。そしていざ実施の時、その現場に東電の関係者が一度も立ち会わなかった事を指摘しています。そしてその後の東電、日立、国のおざなりな対応ぶりについては推して知るべしです。
 田中氏は今回の地震による事故に言及し、「幾重にも用意されたはずの安全対策がことごとく機能しない事態に、東電は『想定外の事態』を繰り返すが、専門家からは批判の声が上がる」と書いています。勿論この専門家の中にはご自身も含まれるでしょう。
 これらを要約すると、東電は無辜の50人を現場に張り付かせ、自らは安全な場所にいて、手軽に事故の癒やしを行い、「平安だ、平安だ」とでも言い出しかねない状況です。
 「彼ら(=東電)は、わたしの民(=日立の技師たちや原子炉圧力容器に適用)の傷を手軽にいやし、平安がないのに、『平安だ、平安だ。』と言っている」(エレミヤ6:14)。
 かくて東電の原子力推進事業は挫折し、サイエンティフィックアメリカン電子版が指摘するように、「福島は今後長らく放射能のゴミ捨て場=不毛の地」となる事でしょう。