ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

人はなぜ土掘りが好きなのか

 65歳に近づこうとしているのに、ここ3ヶ月ほど自分の住む市の発掘作業(いずれも病院建設やその駐車場拡張に伴う緊急発掘)に携わっています。
 私の経済的困難さを見かねた親友が声をかけてくれたのですが、学校を出てからの本格的な長期発掘は実に40年ぶりと言ってよいでしょう。
 気持ちは若いと思っても、実際土を掘ってそれを捨て、また掘り進めるという単純な作業を続けていると、身体は非常に疲れます。今回の2回目の発掘は1回目のシルバー人材センター登録の方々と違い若い人々が多い為に、力ではとてもかないません。同じペースでやっていると途中で追いついて行けなくなります。
 それでも初めて明るみに出される遺物を追って掘り進めていると、何が出るのかという思いでいっぱいになり、つい夢中になってしまいます。
 私が担当しているのは3メートル四方ほどの区画で、関東ローム層と言われる火山灰が積み重なって出来ている赤土(というより黄褐色)の中の石器探しです。たぶん今掘っているのはその中のソフトローム層と呼ばれる部分ではないかと思います。
 その中から黒曜石や焼け石の類が見つかりますが、ほとんどはそれらのチップで、注意していないと掘った時飛ばしてしまいます。
 黒曜石はチップの他に鋭い刃のついたものが若干出て来ます。下図はhttp://www.yomeishu.co.jp/genkigenki/researcher/050722/より拝借。
 
 黒曜石は火山岩の一種である流紋岩で出来ておりガラス質なので、割ると鋭い破断面が出る為、それを取り上げる時は注意を要します。ナイフとか矢じりとして用いられています。そしてそれは私の居住地付近では出ず、分布地域は北海道の白滝、長野の和田峠、伊豆諸島の神津島などに限定されていますから、交易によったか、原石を採掘しに行ったかして入手する事になります。そこでいろいろ想像力が働きます。富士山などの火山灰が降り注ぐ中、人々はその原石を手に入れて、細石刃などに加工し動物を仕留め、ナイフとしても用いて肉の加工をしたりしていたのか、などと思ったりします。他には何も出ないので、その具体的な生活については、あくまで想像に過ぎません。
 でもひたすらそれらを掘って探し続けます。日光にきらりと光る黒曜石を黄褐色の土の中で見つけた時の心のときめきは、疲れを忘れさせるのに十分です。
 なぜ人はこうも土に愛着を持ち、そこに埋もれているものを夢中で捜し求めるのでしょうか。子どもが泥遊びをし、大人が陶芸に熱心に取り組み、農民が肥えた土壌を得る為一生懸命土を耕す、生態学者たちなら土壌の中にバクテリアを捜し求める、そうした行為を嫌がる人はあまりいません。
 それは「神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった」(創世2:7)と聖書にあるように、人間が土から形造られた事で、特に土に対して本能的な愛着心を抱くからではないでしょうか。
 さらにかつて人は神と共にありましたが、その神なる陶器師の御手のうちにある粘土として服していた時が一番幸せだったのです。
 「イスラエルの家よ。この陶器師のように、わたしがあなたがたにすることができないだろうか。――主の御告げ。――見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたも、わたしの手の中にある」(エレミヤ18:6)。