ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

本の愛好家が夏目漱石の『我輩は猫である』を完読していない事

 4月3日の朝日新聞読書欄では「よみたい古典」というコーナーで、夏目漱石の名作『我輩は猫である』を取り上げていました。東大教授の姜尚中氏が解説しています。
 それによりますと、「名前は知っているが、なかなか読了できない古典」の代表格として、日本の小説では夏目漱石の「我輩は猫である」が挙げられるのだそうです。そして同じような意見の方々が若干紹介されています。例えば兵庫県の中村さんは「中学、高校、40歳を過ぎてからの3回読もうとしたが読了できず」と言っていますし、東京都の本多さんも「読み始めたら堅苦しい言葉がいくつも出てきて続かなかった」と言っています。さらに18歳とまだ若い埼玉県の鈴木さんも「古い漢字や表現に阻まれて停滞。3分の2でリタイアした」と挫折を語っています。
 ではナビゲーターの姜尚中氏はどう言っているのでしょうか。「高1のとき初めて読み、面食らった」という経験を話した後、この本が落語や歌舞伎など江戸文化の粋と、西洋文化の薀蓄を一挙に出しているのと、「遺作となった『明暗』に次ぐ長さ。読みにくいのは当然かも…」と語っています。
 つまりこの本は長くて難解という事になるでしょうか。私自身中途というか、最初の部分だけで頓挫したのも、けだし当然なのでしょう。
 日本の古典の代表の一つとも言うべきこの本が、上記理由で途中までしか読まれていないとすれば、欧米の古典(毎年ベストセラー)である聖書はどうでしょうか。
 書店で比べてみますと、旧約のヘブル語原典と新約のギリシャ語原典を含めて訳した英訳は、どれもコンパクトに収まっているように見えます。しかし英訳の3倍以上の厚さがある邦訳は、まさに長大です。しかも決して難解ではありませんが、系図など長々と続くために読みにくいという事は言えます。
 その為私のような信徒でも、日課表に従いだいたい1年で読み通すようにしています。それくらいのボリュームです。ですからやはり途中で挫折する人々が多く居ても当然至極なのです。
 この神のみことば、約1600年間にわたりおよそ40人の著者によって凝縮されて書かれたものですが、あれだけの量でも実はまだ足りません。それを主イエス・キリストに愛された弟子ヨハネが証言しています。
 「イエスが行なわれたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う」(ヨハネ21:25)。
 ヨハネは主イエスが語られた事を全て記すなら、それは天文学的な量となり、実質的には不可能であると言っています。
 日々みことばと格闘している私は、それでも神がもっと難解な箇所に付け足して下さったら、より分かりやすくもっとスピードをあげて読めるのに、と嘆く事しばしばです。