ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

エリザベス・テイラーの業績と死

 2011年3月23日、女優のエリザベス・テイラーが79歳で亡くなりました。1932年英国生まれの彼女は、私たち60代の人々には良く知られていたと思われますが、今の若い人々はほとんど知らないのではないでしょうか。
 早くから映画女優として頭角を現わし、私がまだ幼い頃「名犬ラッシー」とか「若草物語」を永福町の映画館で観たと思いますが、記憶は定かではありません。その後は映画から離れましたが(映画館が潰れたので)、「クレオパトラ」に扮した有名な写真だけは、よく覚えています。
 たまたま英字紙ジャパン・タイムズを駅で買った時、死亡が報じられており、AP通信からのものが記載されていました。「エリザベス・テイラー:ドラマの生涯」といった題で書かれています。
 彼女は昔懐かしい映画スターのうちでは最後の一人で、現代有名人(日本語のセレブは少々ニュアンスが違い、金持ち、高級といった意味合いがあります)のひな型だったという書き出しになっていました。勿論富裕で色っぽい美人、アカデミー主演女優賞を二回受賞し、1992年にそのアカデミー賞の中のジーン・ハーショルト友愛賞というのも受賞しています。
 けれども彼女は健康に恵まれず(最低でも20回主要な手術を受けたそうです)、ロマンスでも失敗を重ねました。8回の結婚で7人の夫を経験しています。出演した映画は50本以上で、「クレオパトラ」以外にも、「ジェーン・エア」「緑園の天使」「バターフィールド8」「バージニア・ウルフなんかこわくない」等々、有名なものが続々です。
 そのように彼女は良い意味でも悪い意味でもセレブリティでしたが、それ以外の記事の中から私が全く知らなかった彼女の意外な面の描写を見つけました。
 それは彼女が後天性免疫不全症候群エイズ)又はヒト免疫不全ウイルス(HIV)の持ち主に対する精力的な擁護者だった事です。
 彼女はこう言っています。「私はこの新しい病気についてのそうしたニュース・レポートを全て見続けてきて、なぜ誰も何もしないのかずっと自問していました」。「その後私はただ彼らと同じだけだった事を悟りました。助ける為に何もしていなかったのです」と。
 そして1985年から彼女はエイズの現状改革の為に関与するようになり、精力的にお金を調達し、人々の意識を喚起し始めました。そして医者の仲間と共にアメリエイズ研究基金の設立に尽力し、その女性会長にも就任しました。またライアン・ホワイトという血友病HIVをうつされ、若くして亡くなった彼を偲び、ライアン・ホワイト法の成立にも尽力しました。彼女はその最期まで基金の為積極的に奉仕したのです。「究極的に伝わるのは愛、愛からどんな悪いものが出て来るでしょうか」と彼女は言っています。
 これらの記事を読むと、私は救い主イエス・キリストのみわざを思います。
 「キリストは…ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです」(ピリピ2:7)。
 エリザベス・テイラーもかつての栄光に固執せず、全てと言ってよいほどその財を投げ出し、エイズ患者の為に仕えました。
 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた…」(テモテ第一1:15)。
 エリザベス・テイラーは、キリストと違い罪ある人でしたが、エイズ患者の救いの為に尽力しました。
 もし彼女が生涯のうちにキリストを自己の主として受け入れた事があるなら、天国でキリストから栄冠を受けた事でしょう。