ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

高橋睦郎氏とは

 4月23日の朝日新聞コラム高橋睦郎「花をひろう」では、「復活祭」の事が述べられていました。
 高橋氏ですが、ネットなどを調べても、1937年生まれの詩人という略歴以外、キリスト教との関わりはよく分かりませんでした。
 ただ氏が聖書をよく読んでいるという事だけは推測されます。
 しかし信仰がなければ、聖書をどれほどよく知っていても、当然間違いは出て来ます。
 私は30年以上信仰をもって聖書を読み続け、学校での専門的訓練を受け、原文のヘブル語、ギリシャ語を多少は知っていますが、それでも神のみことばですから、いまだ分からない箇所が多々あります。というか英国の有名な説教者ロイド・ジョンズの言葉ではないですが、何十年勉強してきてもまだ「聖書の入り口」に立ったばかりというのが、偽らざる気持ちです。
 聖書の知識をたくさん持っているというだけでは、その人を「高ぶらせます」。
 「人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです」(コリント第一8:2)。
 私は朝日が復活祭の事を読者に知らしめようという意図であったなら、少なくも教会の牧師などに書いてもらうべきだったと思っています。
 というのは、救い主イエス・キリストが十字架で私たちの罪のために死に、埋葬され、三日目に復活されたという福音は、到底信仰者でない限り、受け入れられないはずだからです。
 高橋氏の冒頭の文章を引用します。
 「キリスト教で最も重要視されるのは降誕祭より復活祭。イエスとして降誕した人の子が、キリストとして復活し子なる神となったことにより、キリスト教が成立したことになる…」。そして氏はこの福音の根幹をなすコリント第一15章を引用しています(その箇所自体は重要ではあります)。
 問題は引用した氏の言葉の中にあります。「キリストとして復活し子なる神となった」。これは全く事実ではありませんし、朝日がこの記事を載せ、多くの読者にそれが真実であるかのように伝えたのは、重大な「過失」です。その「罪」は非常に大きいです。
 実際にはキリストは三位一体の神の第二位格を持つ神であり、天地創造にも関わった方です。そのキリストが世を罪とその結果としての死から救う為にこの世に遣わされました。
 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ3:16)。
 「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました」(ピリピ2:6−9)。
 「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました」(ヘブル1:3)。
 復活祭はこのキリストを誉め称える記念行事であり、信仰者でない限り無意味であって祝う事など不可能です。