ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

吉良上野介を殺したのは

 竹村公太郎著『土地の文明』を図書館で借りて読みました。極めて面白くいろいろ示唆される事がありました。
 第1〜3章は「東京 徳川幕府百年の復讐(1)(2)(3)」となっており、その第2章に「赤穂浪士の討ち入りはなぜ成功したか」という事の理由を、竹村氏は推理しています。これが事実とすれば全く意外な事です。
 竹村氏は第1章で江戸城の正門は半蔵門であるとの説を、古地図を眺めながら、また実地踏査しながら持ち出しています。私はまだ日比谷あたりしか歩いた事が無いので、皇居の真西にある半蔵門はまだ見た事がありません。そこに一番近い国会図書館は学生時代に通った事があります。
 そしてそこから西に向かって甲州街道が延びています。徳川家康がこの街道を通って江戸城に入ったというのは穿った見方です。
 それほどの交通要所のある半蔵門を守るには、西側に隣接している麹町一体を固めればよい事になります。ところで今の麹町3丁目とその南に接する平河町2丁目の境に平河天満宮があります。
 何とその警戒の厳しい平河天満宮赤穂浪士たちが潜伏していたというのです。竹村氏はそれを「指名手配の過激派が警視庁の裏をアジトにしたようなもの」だと譬え、最初到底信じられなかったそうです。
 いろいろ模索した結果、竹村氏は「赤穂浪士江戸幕府に匿われていた」と結論づけています。
 ところで吉良上野介はかの刃傷事件の時、東京駅八重洲口の近くにある呉服橋に住んでいたそうですが、その後隅田川を越えた墨田区の本所に移転しています。それが実は江戸幕府により移転させられたのだと、竹村氏は推測しています。そこなら赤穂浪士たちが容易に討ち入り出来るからです。
 そして遂に討ち入りは成功、吉良は殺され、さらにその後お家断絶になりますが、赤穂浪士たちは切腹したものの、その子孫の代で幕府により復活させられました。
 なぜそうなったかを竹村氏は第3章で述べていますが、その背景に徳川家と吉良家の百年にわたる確執があったという事で納得しました。徳川家は刃傷事件で浅野家を利用し、吉良家を抹殺しようとしたわけです。歴史の推理は面白い!
 ところで気に入らない人物を「左遷」し、挙句の果てには殺してしまうという話なら、聖書にもあります。列王第一21にあるサマリヤ王アハブによるイズレエル人ナボテの抹殺はその一例です。
 ナボテはイズレエルに立派なブドウ畑を持っていましたが、アハブ王はその譲渡を迫ります。しかしナボテが拒否した為、怨みを抱いていました。そのナボテを殺してブドウ畑を奪うという悪知恵を働かせたのは、アハブの妻イゼベルで、ナボテは民の前に連れ出され、偽りの証言で石打ちの死刑宣告となり、サマリヤの町の外で殺されたのです。
 「そこに、ふたりのよこしまな者がはいって来て、彼の前にすわった。よこしまな者たちは民の前で、ナボテが神と王をのろった、と言って証言した。そこで人々は彼を町の外に引き出し、石打ちにして殺した」(列王第一21:13)。
 同じような話はダビデ王と忠実だった家来ウリヤとの間でもありました。聖書は普通の人間の持つ恐ろしい罪を指摘し、聖なる神を浮き出させています。