ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

東電は全ての被害に対して賠償をすべきではないのか

 今回の東日本大震災は、地震津波という自然災害によるものと、東電原発崩壊による人災の二つに分けるべきものです。
 前者について政府が出来る限りの手を尽くして救済すべきなのは、被害の甚大さに鑑みて当然の事だと思います。
 しかし後者についてはそうではありません。東電責任者たちは一様に「想定外」と述べる事によって、その責任を巧みに回避しようとしているように見えます。清水社長は事故後、4月22日に初めて福島県知事と面会し謝罪しましたが、具体的な賠償額について言及を避けました。そしてその足で避難生活を余儀なくされている人々のいる施設を回って謝罪しましたが、報道ではそこでもただ謝るだけで賠償金の事には触れませんでした。25日には東電役員報酬を半減にすると発表(それでも平均2300万円!)、26日には申請のあった所帯に仮払い金としてただの100万円支払いを開始しました。しかしその頃から東電賠償に上限論が飛び出しました。上限のない原案では株式会社として破綻するという声が高くなり出したのです。その為東電の純利益から賠償金を払える仕組みを政府に要望し出したのは、かの勝俣会長です。29日清水社長も同意しています。そこで28日の新聞を見ますと、政府の損害賠償紛争審査会は具体的な賠償額を示しませんでした。その理由としては、東電と国との負担割合を巡り、「水面下でのつばぜり合いが始まっている」からだそうです。
 ちなみにネットの情報を見てみますと、もし東電が全額負担となると、何兆円にものぼる債務超過となり、それによって銀行は資金を貸さず、東電も社債を発行出来なくなって倒産するしかないという事態に陥ります。すると社債を持った投資家や銀行が大きな損失を被る事になり、一部の銀行では金融危機を引き起こし、日本全体が大変な状態に追い込まれてしまうのだそうです(以上はhttp://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110421/267778/?P=9における経営コンサルタント小宮一慶氏の意見を参照しました)。
 こうした議論は今後も延々と続くでしょうし、リーダーシップの取れない管内閣では到底良い案が出そうもありません。それでも私なら東電が全賠償の責任を負うべきだと主張します。
 では聖書はどんな事を言っているのでしょうか。
 十戒の後レビ記において主なる神がモーセに託されたみことばでは、「もし人がその隣人に傷を負わせるなら、その人は自分がしたと同じようにされなければならない。骨折には骨折。目には目。歯には歯。人に傷を負わせたように人は自分もそうされなければならない」(レビ24:19−20)とあります。
 東電はそのずさんな原発管理で、農業・漁業を営む人々に多大な傷を負わせました。またこの原発周辺で危険を冒して作業をしている社員や下請けの人々が、高い放射線量で死亡する事態が将来起きたら、それなりの刑事責任を負わなければなりません。これはイスラム教における復讐原理とは異なります。放射線が原因で死亡事故が生じたら、東電責任者も裁きで死を覚悟する位の気持ちでなければならないという事です。負わせた事故の全責任です。
 しかし上記一連の新聞記事を見ますと、東電責任者たちは逃げの一手に終始しています。となると私たち弱者の訴訟も負けてしまうでしょう。「負け犬の遠吠え!」。
 あとは「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』」(ローマ12:19)との神の御約束に委ねるほかはありません。