ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

米国では患者は消費者なのか

 4月23日のニューヨークタイムズ電子版(英文)は、ノーベル経済学賞受賞者であるプリンストン大学教授ポール・クルーグマン氏の「患者は消費者ではない」という論文を載せていました。氏はNYTの常連の寄稿者です。新自由主義経済学に対抗して、斬新な考え方を次から次へと打ち出しています。
 教授が怒ったのは、医療費用を抑える為に努力している独立支払諮問機関(たぶんに問題はありそうです)に対して、共和党議員が「政府の医療計画をもっと『消費者』の選択に応えるようにする事だ」と主張した事です。
 教授は治療を受ける患者の事を「消費者」と呼ぶのは、果たして正常で受け入れられる事なのかと問うています。これまで患者と医者との関係は商取引と同じようなものではなく、何か特別な事、神聖な行為のようなものと見なされて来ました。それが共和党議員の強硬な主張で崩されているのです。
 米国は先進世界の中では最も消費者主義の医療保障制度を採択していますし、医療費は飛びぬけて高いのに、医療の質では他の諸国の遥かに安い制度と比べても、ちっとも変わらないという特徴があります。
 それなのに既にいろいろ失敗して来た制度へ復帰しようという共和党の要求は間違っているという事です。
 医療とはとどのつまり重大な決断をしなければならない分野です。即ち生と死という決断です。しかしそうした決断を知的に行なうためには、膨大な量の特別な知識が必要になって来ます。さらにそうした決断はしばしばひどいストレスの下に置かれた、或いは論議の時間がなく即座に行動が必要な条件下にある患者が行なわなければなりません。そこにこそ医療倫理というものが存在するのです。またそれこそ医者が何か特別なものを身につけ、平均的なプロよりも、さらに高度な基準に従って行動する事が期待される理由なのです。
 それゆえ医者は医療の必要な「消費者」にサービスを売りつけるだけのプロバイダー(供給者)に過ぎないという考え方、何でもお金に換算させようとする考え方は、全く病的で間違っています。ですから「消費者」などといった言葉は、この討議ではひどく堕落しているだけでなく、私たちの社会の正当な価値観からも外れている兆候でもあると、教授は結論付けています。
 全く同感です。聖書ではどうでしょうか。
 神である救い主イエス・キリストが行なわれた身体的・霊的な癒しの行為は全く無償であり、求める病人はただで受ける事が出来ます。この方にあってはたとえお金がなくても、十二分なケアを受けられるのです。そこに米国流「商行為」が働く事は絶対ありません。ケアの必要な人々は消費者ではありません。
 「ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え」(イザヤ55:1)。