ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

堀江邦夫著『原発労働記』を読んで

 今東関東大震災関係、特に原発関係の本が書店に出回っていますし、絶版になっていた本も復刊されたりして、大変良い傾向だと思っています。
 特に上記の本は27年ぶりの復刊とあってよく売れているようです。私は図書館で借りて読みました。美浜・福島第一、厚賀の3原子力発電所で、下請けとして働き、日々の生活を精緻に記した記録は、大変貴重なものです。文庫とはいえ、350ページもあるので、読み応えがあります。
 1978〜79年の日記風記録ですが、被ばく線量などが克明に記されており、日々の重労働の中でよくこれだけ書けたものだと感心しました。
 残念なのは、今回の復刊の最後にある「跋にかえて」です。著者は福島第一原発2号機タービン建屋のマンホールからの落下事故で、肋骨骨折した後の後遺症(?)があり、大変苦しんでいる為、今回の東日本大震災との関連で長い文章を書けないほど弱っている事がある為です。
 今後も養生して元気になり、新たな視点から原子力発電所維持の問題点を書き記してくれる事を願うばかりです。
 それにしても原発の構造の複雑さといったら、何と表現してよいのでしょうか。およそ設計者には、東電社員の為だけの安全確保だけしか頭にあらず、その維持管理では危険この上もない為、下請け・孫請けなどを安い賃金で雇い、出て来る廃棄物や汚染箇所の掃除など、これが人間のやるべき事かというほど劣悪な環境でやらせています。著者が落下しかかり大怪我をしたマンホールも、いつもは蓋が閉まっているのに、その日に限り覆っていたビニールシートだけになっており、危険表示もせず、安全点検も何もあったものではありませんでした。
 この本を読んだ限りでは、全くひどい姿勢を強いられる労働者たちの事を考え、簡素な形での設計を心がけるという思想が全くありません。設計者たちはこうした労働者たちの事を何と考えているのでしょうか。交換可能な「人間の屑」くらいにしか考えていないのでしょう。
 そして現在進行している福島原発の懸命な復旧作業でも、そのつらさや危険性の為、辞めたいと思っている人々が続出しているではありませんか。
 その屑と見なされている人間でも、私たちの創造主である神は、その栄光の為に極めて精緻に設計し、形造られたのです。
 「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った」(イザヤ43:7)。
 そしてその神が設計して出来上がった人間を「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)と言われたのです。
 その高価で尊い人間を眼中に置かない東電首脳とは一体どんな者か。幾ら立派な言辞を並べ、安全確保と言いながら、その実自分たちこそ最も人間性を欠いた無思想な集団ではないですか!彼らの為に血を流して無念にも死んだ人々の為、神である主はこう仰せられます。
 「乏しい者や貧しい者をしいたげ、物をかすめ、質物を返さず、偶像を仰ぎ見て、忌みきらうべきことをし、利息をつけて貸し、高利を取るなら、こういう者ははたして生きるだろうか。彼は生きられない。自分がこれらすべての忌みきらうべきことをしたのだから、彼は必ず死に、その血の責任は彼自身に帰する」(エゼキエル18:13)。