ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

田中優子著『江戸っ子はなぜ宵越しの銭を持たないのか?』を読んで

 図書館で上記の本を借りて読みました。私は東京上野で生まれた父の子であり、父はそこで3代以上にわたり住んでいたという事ですから、一応「江戸っ子」とは言えます。しかしそれは妹などに継承され、私はどちらかというと、静岡沼津生まれの母に似てしまい、あまりその心意気はありません。
 田中法政大学教授は、江戸文化全般にわたり深い学識をお持ちで、若くして亡くなった江戸漫画家杉浦日向子氏と共に、あまりにも有名な方です。
 今回江戸っ子の特徴をなす「宵越しの銭を持たない」という言葉の背景を知りたくて、一気に読みました。
 ではなぜ江戸っ子は宵越しの銭(金)を持たなかったのでしょうか。それは江戸期に火事が多かったからだと言われています。可能な限りの備えをしていても、いろいろな原因で火事は起こります。そして密集していた江戸の家屋は全て木と紙で出来ていた為、一度火がつくと燎原のように焼き尽くしてしまう事がしばしばでした。そこで町火消が登場し活躍します。彼らは今のような「ホース」による火消し法がなかった為、類焼を防ぐ為に火の広がりそうなところの家を片っ端から壊して、空き地を作って行きました。そのようにして火事を終息させたわけですから、一旦火事が生じると家に置いてあるものは灰燼に帰し、又はほとんど破壊されてしまいます。ですから下層庶民は常に「荷を軽くしておく」必要がありました。余計なモノは一切持たないという精神です。そこから「足るを知る」ささやかな幸福が生まれて来ます。モノが溢れかえっていながら、少しも幸福感のない現代人は大いに見習うべきではないですか。
 全然お金を蓄えていなかったわけではありませんが、江戸人はケチではありませんでした。所持金は家を焼かれて困っている人々の為に惜しげもなく使われたのです。そのようにして彼らは「人とのかかわり」を大事にしました。冠婚葬祭という年中行事も多かったわけですが、そこでも気前良く金を出す、互いに助け合う、職を失ってしまえば、今大いに見直されている「仕事の分かち合い」(ワークシェアリング)が生きていたのです。そうやってお金が出ても、巡り巡って結局自分のところに戻って来ます。だから商人が利ざやを取り過ぎると、「儲け主義」として軽蔑され、人々の信頼を失いました。
 そうしたお金の循環という思想は、またモノの循環でも威力を発揮します。田中教授は「江戸時代はほぼ完全な循環社会であった」と力説しています。
 紙・布・藁そして排泄物まで徹底的に修理や再利用が行なわれ、少ないモノが極めて大切に扱われていた事を、田中教授は描写しています。特に下肥問屋は現在とは逆に、排泄物をお金を出して引き取り、農家の肥料として売り出し、相当な利益が出た為、活気に満ちた商売だったそうです。
 そうした事をこの本から学ぶと、江戸時代のほうが「心の面」では現代より著しく進んでいたと思えてなりません。人は自分為より、互いに助け合い、他人の為に生きる事を「粋」としていたのです。ここにはダーウインの「進化論」は全く当て嵌まりません。
 まさにそれはキリスト教の精神でもあります。救い主イエス・キリストはこう言われました。
 「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒20:35)。
 「持ち物を売って、施しをしなさい。自分のために、古くならない財布を作り、朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません」(ルカ12:33)。
 長丁場となりそうな東日本大震災の復興ですが、私も江戸人の心意気で少しでも助けになりたいと願っています。