ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

加藤陽子著『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読んで

 加藤教授のこの本はとかく無味乾燥になりがちな歴史教科書とは違い、神奈川の私立栄光学園中・高の生徒を対象にした講義で、深く考えさせるところがありました。
 私としては、題名から特にあの「太平洋戦争」というものが全く無謀にも始められた事について、その理由を詳しく展開しているものと思っていました。
 しかし日清・日露戦争から始まり、最後に来た太平洋戦争には、もはやあまり紙面を多く割く余裕がなかったようです。
 それにしても栄光学園の歴史研究部のメンバーは極めて優れた柔軟な思考と、知識を備えていると改めて感心しました。
 付箋は多くあり、私が得た新知見は随分とあります。例えば自由党は二つの新聞を出しており、「自由党報」は硬い文章で、「自由燈」は庶民向けの分かりやすい文章でというように使い分けていたそうです。それは現在の共産党の機関紙赤旗と庶民向けのビラ類を想起させます。陸軍統制派で皇道派の軍人に切り殺された永田鉄山が、戦争で満蒙を獲る必要はないと言っていた事の記述を見ると、もし彼が生きていればどうだっただろうという事を思わせます。また中国の胡適は「日本切腹、中国介錯」などと凄い事を言っていますし、日本の傀儡政権の主として教科書にも出て来る汪兆銘も、先を見据えた優れた政治家であった事が分かります。中国文学者の竹内好の太平洋戦争論に対する加藤教授の解釈も面白かったです。真珠湾攻撃で有効だったのが、当時卓越した技術を持った日本人たちによる魚雷だったという事実にも、目から鱗が落ちる思いでした。
 しかし米国南北戦争当時の大統領リンカーンが言った有名な言葉、「人民の、人民による、人民のための」という文句に、戦争中の北軍の戦意高揚という意図があったとは知りませんでした。それが満州事変当時の関東軍参謀石原莞爾ですと、張学良率いる東北軍約20万人に対して、関東軍は1万人、圧倒的な兵力の差に、彼自身心細い思いをしていた、だから謀略などと書かれた箇所を見つけて、これまたびっくり。この「戦意高揚」と少ない軍勢というところから、幾つかの聖書箇所との類似性を見つけました!読者はまたかと思われるかも知れませんが、これが私の仕事なので、ご勘弁のほどを。
 「三隊の者が角笛を吹き鳴らして、つぼを打ち砕き、それから左手にたいまつを堅く握り、右手に吹き鳴らす角笛を堅く握って、『主の剣、ギデオンの剣だ。』と叫び…」(士師7:20)。
 これは敵対するミデヤン軍の陣営への攻撃の際のイスラエル軍の戦意高揚の為の叫びでした。人間の力より万軍の主なる神の御力で勝つんだという意気込みが感じられます。またこの攻撃に際して志願兵3万2千人は多過ぎ、僅か300人の精鋭で、谷に伏して待ち受ける「いなごの数ほどの=数え切れない)敵ミデヤン人らの陣営に突っ込ませたわけですが、この時も主は内心石原のようだったであろう兵士たちにこう仰せられました。
 「三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミデヤン人をあなたの手に渡す。残りの民はみな、それぞれ自分の家に帰らせよ」(士師7:7)。
 この戦い主が共におられたイスラエルが大勝利を収めました。私たちはこの偉大な主の御力を侮ってはいませんか。