ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

祭壇で焼いたいけにえのかおりはどこへ

 既に触れた事のある岩掘修明著『感覚器の進化』は、勿論進化論の立場からの記述となっています。
 それはとにかく、その中の嗅覚器について若干の知見を得ました。
 におい刺激は接触で初めて感知される味覚器とは異なり、「遠くに由来するにおい物質が刺激となる「遠隔刺激」だと岩掘教授は言っています。
 そしてこの嗅覚器は水棲動物と陸棲動物で大いに異なっています。かぎとなるのは口腔です。水棲動物とは異なり、「陸棲動物の嗅覚器は口腔とつながり、呼吸するための空気の通路の一部となっ」ていると、岩掘教授は解説しています。教授はそこに水棲動物から陸棲動物への進化を見て取りますが、私たちは最初から神がそのように創造されたと信じています。
 空気を取り入れる鼻腔は、その呼吸器を兼任している事で、汚染や病原菌を除去する「空気清浄器」の役割を果たしています。真に精巧な創造の仕組みだと思います。そしてこの嗅覚器のある粘膜は、鼻腔の天井に張り付いた形で存在し、空気に含まれるにおい物質をうまく捉える事が出来ます。
 嗅覚を起こす化学物質を広く「におい物質」と言うのだそうですが、それは当然にも「たえず動いていること」が必要です。秒速4メートル以上が要求されます。
 聖書の神は「霊」であって、人間のような視覚や嗅覚といった感覚器を持っておられるわけではありません。
 しかし旧約聖書を見ますと、その神があたかもそれらを備えておられるように記述されている箇所が見つかります。たとえば視覚なら「主よ。あなたは私を知り、私を見ておられ、あなたへの私の心をためされます」(エレミヤ12:3)といったみことばがあります。
 それ以上に神として「敏感」なのが嗅覚でしょう。箇所は民がささげるいけにえに関して、旧約聖書で多く出て来ます。一例は以下の通り。
 「その雄羊を全部祭壇の上で焼いて煙にする。これは、主への全焼のいけにえで、なだめのかおりであり、主への火によるささげ物である」(出エジプト29:18)。
 イスラエルについては「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた」(申命14:2)とあるように、選ばれた宝の民でした。彼らは神の恵みを受け、常に聖なる神と共にいましたが、その内なる罪のきよめの為に、動物のいけにえが必要でした。それは祭壇の上で焼かれて煙となり、「秒速4メートル」以上で天に上って行きました。上記雄羊が焼かれたので、さぞ良い、食欲をそそるようなかおりだったでしょう。その煙のにおい物質を、天の神は「大きな呼吸と共に嗅いで」満足し、民をきよいものとされたので、罪への御怒りはその時点で収められたのです。それがなだめ=和解のかおりでした。
 時代が変わり、新約から今日に至るまで、主なる神が望んでおられるのは、私たちが神との断絶の元となっている罪を悔い改め、その為に十字架で身代わりとして死んで下さった、天からの救い主イエス・キリストを信じ、自分自身を神にささげる事です。
 「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい」(ローマ12:1)。
 神は今天にあって、私たちから発散するきよい「化学物質」を嗅いで、それをよしとして下さいます。