ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

中世民衆の拠点「惣」

 高校で日本史の授業を受けられなかった私は、いまだその流れがよく把握出来ていません。また網野善彦氏などの斬新な研究などもあって、今ブームの山川日本史教科書もそのまま鵜呑みに出来るのかと思ったりしています。
 そんな中で岩波新書藤木久志著『中世民衆の世界』を読みました。
 そしてそこに「惣堂」というものが存在した事を知りました。藤木氏によれば、惣堂とは村人たちが「寄り合って建てた堂」の事で、みんなのもの、つまり村人全員のものであって、特定の個人のものではなかったという事です。共同の集会所になっていますが、その村とは関係の無い旅人にも解放されていたようです。そしてそこでは人々が集まって「写経」なども行なわれており、「地域の祈りや文化の拠点としても、それなりの役割を果たしていた」と、藤木氏は推測しています。
 しかしそこに立ち寄った旅人たちは、様々な落書きを残して行きました。それには「信心」に関わるものもあれば、「猥雑な」ものもありました。男色の気配が濃厚な落書きがあったという事ですから、いわゆる神殿男娼を想像させます。
 また惣堂は「村の祭りや相談ごとの拠点」でもあったそうです。さらに惣物は村の共同管理下にありました。
 やがて惣堂には阿弥陀仏という本尊が置かれ、人々は金銭や物品を寄進しました。しかし村の長老たちがそれを私物化するようになったという事実もあるそうです。
 この惣堂の事が本の第二章に書かれていますが、その部分を読み終えた時、いかにそれがユダヤ人の「会堂」と多くの類似点を持っていたか、という点に心を馳せました。
 ユダヤ人の会堂も彼らの共同の建物であり、共同の集会所であって、そこでラビ=教師たちが旧約聖書を朗読したり、民に説き聞かせたりしていました。またラビのうちにはその聖なる教典をそこで書き写していた人もいたと思います。会堂は各地にありましたから、そこが宗教的祈りや文化の拠点になりました。さらに救い主イエス・キリストは、地上では旅人でしたが、しばしばこの会堂に立ち寄り、集まった人々に説教したりしておられました。
 会堂には人々が捧げ物を携えて来たりしましたから、それらが盗まれないよう会堂管理者もちゃんと存在していました。世が堕落した時には、人々は神殿で偶像礼拝を行なったり、男娼を行なったりしていましたから、その影響は会堂でも相当あったのではないかと思われます。聖なる会堂が汚れた拠点になった事もあったと私は想像しています。
 「この国には神殿男娼もいた。彼らは、主がイスラエル人の前から追い払われた異邦の民の、すべての忌みきらうべきならわしをまねて行なっていた」(列王第一14:24)。
 それだけ私たちは堕落した性質を持っていますから、絶えず聖書を基準とした生活を送っていないと、会堂(現在は教会)でも猥雑な方向に向かう事が無いとは言い切れません。主イエスはその危険性について、黙示録でペルガモにあった教会に警告を発しておられます。