ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

原発発展の陰に「金を愛する事」あり

 2011年5月28日の朝日新聞は、福島県双葉町という過疎地における原発推進がどのように進められたのかを追求しています。
実は福島第一原発はこの双葉町だけでなく、南側に隣接する大熊町にまたがる形で存在しています。そして今回大事故を起こした1号機〜4号機自体は後者の大熊町に属しています。双葉町には後発の5〜6号機が立地し、さらに7〜8号機の増設計画がありましたが、その準備が進む中東日本大震災が起こり頓挫しました。
 こうした経緯があった為、双葉町では1978年、79年から5号機と6号機の運転が開始されました。ちなみに県と東電が双葉町大熊町にまたがる地域に目をつけ、そこに原発を造成すべく調査を開始したのは1960年代の初期でした。
 双葉町の歴史を調べてみると、人口が少なく(1万人足らず)経済的にも恵まれなかったので、町の活性化の為には、この原発施設の誘致は不可欠だったようです。
 そして実際に5,6号機が稼動し始めると、「巨額の『原発マネー』が奔流のように流れ込んだ」と朝日の記事にありました。それには国が用意した電源立地3法交付金というものと、東電施設に対する固定資産税が含まれていました。ですから4年ほど経過すると、双葉町は信じられないほどの収入を得て、生活の基礎となる道路や下水道などの設備を次々と建造して行ったので、町民の懐はかつてなく豊かになったようです。朝日記事の題目にあるように、人々は皆「カネの魅力」にとりつかれた事でしょう。
 そこに陥穽がありました。慢心した町はさらなる施設の建設を続け、一方で原発の老朽化も進み、2007年度では財政破綻の恐れも生じたようです。
 そうした乏しい状況で町が目をつけたのは、又しても原発マネーでした。そこで議会は新たに7〜8号機の増設を可決、正式容認したので、今度は電源立地等初期対策交付金なる巨額のお金が再び町に流入した次第です。
 あの5,6号機の運転開始によるお金の潤いよ又再び、とばかりに町は期待していたのでしょうが、大地震の勃発と共にその夢は潰えました。
 聖書には「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました」(テモテ第一6:10)とあります。
 勿論それは信徒たちに対する使徒パウロからの警告でしたが、金銭を愛する事の罠が彼らの極めて大きな苦痛をもたらした例は、まさにこの双葉町にも当て嵌まりました。井戸川町長や町民たちは、原発事故により金銭追求による苦痛が自らを刺し通した事を、痛いほど悟った事でしょう。
 しかし私たちは双葉町を責める事は出来ません。今町は原発20キロ圏内で大被害を被っているのです。
 かえってこの聖書のみことばは、私たち誰にでも適用可能な警句ではありませんか。お金は必要です。しかしそれを愛して度を超えた時、災いがやって来るのです。