ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

橋元良明著『メディアと日本人』を読んで考えた事

 上記の本を図書館で借りて、ほぼ一気に読み終えました。朝日の書評(=姜尚中東大教授による)通りで、文章も図表の解説も極めて明快です。
 このような題の本を書く人は一般に社会学者でしょうが、えてして啓蒙書でも難解なものが多いので、この本から得た収穫は大です。
 橋元東大教授は多様なメディアの変遷を豊富なデータで解読していますが、特に私の所持していないテレビについての分析結果は、大いに考えさせられるところがありました。
 私は主としてインターネットや書物、新聞からいろいろな知識を得ていますが、身近な友人たちはあまりそれらに傾注していなくても、実によく物事を知っています。どうもその源泉がテレビにあるのではないかという漠然とした予測があったのですが、やはり「いち早く世の中のできごとや動きを知るメディア」としてテレビが他のものを凌駕している事を知りました。その視聴時間は40代以下では一貫して減少していても、私が属する60代では全く安定しており、多くの余暇の時間をテレビ視聴に割いているであろう事は、グラフからよく読みとれます。そして橋元教授は「テレビというメディアを機能でみた場合、その有用性はほとんど低下していない」と断定しています。ですから説教や会話でテレビの人気あるドラマの内容が引用されると、それが広く共有されているので、だいたいの人々が「あああの事か」と理解出来るわけです。その時私だけが蚊帳の外にいて、「ぽかんと」聞いています。
 でも高齢者施設で多くのお年寄りたちのテレビ視聴を眺めて来ましたが、概してその目はうつろで本当に画面に反応したり感動したりという事がありませんでした。それ故その有用性がデータに載っていない80代以上で続く事には疑問を抱いています。テレビは全く受動的なので、そうした高齢者たちがそこで繰り広げられている場面を能動的に把えているのかと思ってしまいます。私なら最後まで新聞や書籍で頭の働きを低下させないぞと、「負け惜しみ」しています。
 ではテレビなどといったメディアの存在しなかった聖書時代はどうだったのでしょうか。橋元教授は文字の起源を楔形文字に求めているようですが、それはさておき、「『声』を視覚化し、その内容の保存を可能にした」のが文字であり、それが「やがてパピルスや羊皮紙に記されて書物となる」と述べています。
 神のみことばが文字として保存された古い例としては、いわゆるモーセ十戒があります。その時主なる神は「石の板」に自ら書き記し、モーセに託されました。
 「こうして主は、シナイ山モーセと語り終えられたとき、あかしの板二枚、すなわち、神の指で書かれた石の板をモーセに授けられた」(出エジプト31:18)。
 その後みことばの筆写の材料としては、聖書地では考古学的に発見された陶片や木が知られていますが、旧約聖書の時代、書記たちは高価な「羊皮紙」を用いて、丹念にみことばを筆写して来ました。彼らは優秀で、概して旧約の場合「写本の違い」は少ないです。それをユダヤ人ラビ(=教師)が人々に朗読し広めて行きました。写本は主として彼らの拠点である会堂に納められていたのでしょうが、メディアの手段として民衆の間に渡される機会はほとんどなかったでしょう。獄中のパウロは弟子のテモテに「また、書物を、特に羊皮紙の物を持って来てください」と懇願しています。それは旧約聖書でした。 
 新約の時代では専ら羊皮紙より安価なパピルスが使用されました。主なる神イエス・キリストのみことばは、原本が失われているので分かりませんが、その弟子たちはパピルスに筆写し、教会堂に保管され代々筆写されて来たのでしょうが、内容の長期的保存は難しく、パピルスの断片として多く残されています。各教会単位で伝達されたでしょうが、それも広く普及する事はなかったでしょう。
 書物として広く民の間に聖書が流布されるようになったのは、1454年のグーテンベルクによる印刷術の発明が契機となりました。
 以後私たちは紙に印刷された聖書を読んで広く活用して来たわけですが、勿論メディアの媒体としては今日様々な形のものが存在します。それこそ橋元教授が列挙しているテレビ、新聞、インターネット、ラジオ、電話、CD等何でも利用されています。