ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

雨漏りのする仮設住宅の悲惨

 6月17日の朝日新聞は、東日本大震災被災者向けの仮設住宅の一部で、天井からの雨漏りなどがあるなどの欠陥を報じていました。
 取材を受けたのは、宮城県登米市名取市です。どちらも避難所生活からやっと仮設住宅に移って来られた方々ばかりだと思います。両市とも仮設住宅の団地となっています。
被害は勿論主として天井からの雨漏りです。それがいかに深刻であるかは良く分かります。私の住む古いマンションでは、排水管などからの水漏れの原因を探していますが、近頃腐食による詰まりで漏れた水は、風呂場やトイレ、押入れなどの天井から容赦なく流れ落ち、その間それらが使用出来ず、またバケツなど用意していなかったので、床までぶよぶよになってしまいました。着の身着のままで避難所に駆け込んだ方々が、支援で得た僅かなものを携え入居したのに、この有様では本当にがっかりしてしまうでしょう。でも無料という事で何とか我慢して過ごしておられるようです。一刻も早く補修がされる事を望みます。
 朝日によれば、この雨漏りに関する限り岩手県で220件も苦情が寄せられたそうです。これからももっと件数が多くなると予想されています。
 なぜそういう事になったのかと言いますと、仮設のプレハブは東京大阪などの大手業者が中心で、下請けが多く入り、現場の大工さんたちの日当が相当抑えられている事と、豪雨などがあって施行を急ピッチで進めなければならないという事情があったからだそうです。大工さんたちは休む間もなく働き、暇などとれないのが実情ですから、手抜きがあったのは事実でしょう。でもこの不況下大工さんたちも、被災者同様「被害者」なのです。儲かっているのは大手ばかりという、現代日本格差社会の厳しい現実が現れたと言っても良いでしょう。日本全国どこでも雇用条件が悪化し、若者から高齢者まで苦しんでいるところに、震災が追い打ちをかけた事になります。
ところで聖書にも雨漏りの事例が僅かながらあります。次の箇所は上記の事柄とは対照的です。
 「なまけていると天井が落ち、手をこまねいていると雨漏りがする」(伝道者の書10:18)。
 ここに「雨漏り」がするという訳語が出て来ます。ヘブル語原文動詞は「ダラフ」で、ぼたぼたと滴が落ちる、水が漏れるという意味です。簡素なので英訳邦訳ともさまざまな訳語があてられていますが、新共同訳の「梁は落ちる」というのは、ちょっと違うと思います。
 いずれにせよ、ここでは「なまけていると」「手をこまねいていると」という表現があり、他の日本語ですと、不精であるとか怠惰などといった言葉が浮かんで来ます。これは家の維持で言われている事です。普段からの注意深いメンテナンスを怠った為です。聖書地ではだいたい煉瓦を積み上げて壁を作り、壁から壁へ梁を置いて、そこに葦や茨のむしろを敷き、その上を粘土や土で覆って屋根にしていたところが多く、そうした屋上の手入れを頻繁に行なっていないと、雨が降った時、当然にも雨漏りがするのです。
 震災地ではせかされての欠陥により、昔の聖書地ではその逆の怠惰により雨漏りが発生してしまいました。