ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

8割近くの人が震災前に住んでいた所に戻りたいと思っている

 6月24日の朝日新聞一面では、福島大学の今井照教授と朝日新聞が共同で、福島第一原発事故により避難した人々への聞き取り調査を行なった結果を発表していました。
 それによりますと、震災前に住んでいた地域に戻りたいですかという質問に対して、「戻りたい」「出来れば戻りたい」と答えた人は、実に79パーセントに上りました。勿論放射能の危険性を考えた時、「戻りたくない」「あまり戻りたくない」と答えた人も12パーセントいました。後者はたぶん若い人々がかなり占めていたと思われます。
 「震災前に住んでいた地域」とは、たとえ生まれ育ったところではないにしても、「故郷」のような感覚で長年過ごして来た人々でしょう。戻りたいという気持ちは、その長年住み慣れて来た土地に大きな愛着を抱いているからでしょう。
 私自身の事を振り返ってみると、昭和10年頃父母が苦労してお金を貯め購入した東京杉並の家で、昭和21年に生まれました。戦火からかろうじて残った家には、まだ庭の防空壕の跡が残っていました。そこで育った時の記憶はまだよく残っており、近所付き合いもよかったので、多くの友だちたちとよく遊びました。それからおよそ10年近く経過し、父親が連帯保証人として勤めていた会社が潰れ、抵当に入っていた家は売らなければならなくなりました。初めての引っ越しではありましたが、東京郊外の調布市もまた黄金の遊び場がたくさんあって、共に生まれ育って隣近所の友人たちとの別れがさほど気にならないほど、遊びに熱中したものです。そこも約10年ほどでしたが、杉並の10年を含めて第一、第二の故郷と考えています。
 それからは関西も含め、何度か引っ越しをしました。様々な出来事があり、どちらかと言うとあまり思い出したくない問題が生じて、とても故郷のような感じではありませんでした。聖書のヘブル書に「地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです」(ヘブル11:13)とある通り、後半の40年は地上においては、旅人・寄留者のような感覚で過ごして来ました。
 ですから主として生まれ育ったところに戻りたい、そこで死にたいと思っている避難者の皆様の気持ちは痛いほどよく分かります。
 しかしです。震災に伴う津波で家を失った人々の場合、またいつかそこに戻る事が可能でしょうが、福島第一原発から20〜30キロ圏、いや飯館のようにもっと離れた地域に住んでいた人々は、もはや戻る事が出来ないでしょう。高濃度の放射能が残り、いまだ収拾がつかない状況では、20年、30年経過してもまず駄目だと思います。むしろ危険を冒してそこに踏み込むのは自殺行為に等しいです。かつて東海村臨界事故現場からそう遠くない地域に住んでいた者として、そこで悲惨な死に方をした2人の従業員の方々の事が、頭上に重くのしかかっています。私ならその2〜30年で白血病になる覚悟はあっても、放射能をすぐ近くで大量に浴び、多臓器不全で亡くなるのはごめん被ります。
 もう原発近くを故郷と思っている人々は、迫る現実の深刻さゆえに永遠に諦めなければならないでしょう。
 一信徒としての私は上記ヘブル書の11:15を銘記しています。
 「しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました」。
 天で神が用意して下さっている永遠の故郷、それを目指し、地上では旅人として生を全うしたいものです。