ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

東日本大震災の中で本当に神はおられず、頼るべきは人々だったのでしょうか

 6月7日の朝日新聞は「許して前を向く日本人」という題、「大震災で見た『神様のいない宗教』」という副題で、漫画家のいがらしみきお氏が文をしたためています。
 いがらし氏は宮城県加美郡出身で仙台在住とありました。ですから東日本大震災の被災者の一人でした。そしていがらし氏は、宗教をテーマにした漫画をライフワークにしているようで、その原稿が出版社の編集部に届いた翌日に被災しています。
 その時いがらし氏が目の当たりにしたのは、テレビで報じられる「神様などいない」無慈悲な光景の繰り返しでした。つまりテレビや新聞などのマスコミ報道では、誰も神様の話などしておらず、互いに助け合い、慰めあい、元気づけている生身の人間の話ばかり目に飛び込んで来るという有様でした。
 この天災という不条理を前に、「みんながみんな、まるで信仰のように人を信じていると私は思った。神様のない宗教がそこにあったのではないだろうか」と、いがらし氏は省察しています。そして「日本人が人を信じることをやめないという決意を表したように見えた」そうです。
 なるほどそうかと思いました。一般に日本人は無宗教か、八百万の神々を信じていると言われていますが、目に見えない神ではなく、生きている人間の中に神なるものの存在を信じているのでしょうか。
 でもその人間への信頼は果たして長続きのするものでしょうか。否。人間は「罪深い」者です。信頼なんてたやすく裏切られてしまうものです。そして被災した人、しなかった人との間では、「残酷な格差」(作家高村薫氏の言葉)があります。そして時と共に後者は前者の事を忘れてゆき、これから数十年と続くであろう被災者の方々の苦難とは全く無関係に、この世の愉楽を享受するでしょう。
 「鼻で息をする人間をたよりにするな。そんな者に、何の値うちがあろうか」(イザヤ2:22)。
 これが目に見えない絶対者である神のメッセージです。確かに私自身上記の格差論で言えば、被災しなかった者として多少上位に位置するかも知れません。でも統計上貧困者の中にあって(生活保護水準よりずっと下です)、物質的には被災者の方々に何もしてあげられません。しかし…。
 「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな」(箴言3:5)。
 私は神がれっきとして存在し、今も救いの御手を伸べておられる方である事を信じていますし、その主なる神に拠り頼んでいます。これからもそのようにして生きてゆく事になりますし、被災者の幸いの為に執り成しの祈りを続けます。繰り返します。大震災の有無に関係なく、神は存在します。
 「神はモーセに仰せられた。『わたしは、「わたしはある。」という者である。』また仰せられた。『あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。「わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。」と』」(出エジプト3:14)。