ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

『アマゾン・ドット・コムの光と影』(福田増生著)を読んで

 アマゾン(株)が日本に上陸したのは1998年、ちょうど私が茨城県鉾田市というところ(当時は鉾田町)に引っ越した年でした。
 その頃パソコンはまだNECの初期の95で、インターネットはやっていませんでした。読書が趣味でまた本がないと非常に困る仕事をしていたので、町中にあった書店にはよく行きました。しかし新刊書で望むものはほとんどなく、いつもすごすご帰って来たのを覚えています。まして図書館など貧弱で借りたい本やCDはすぐ利用し尽くしてしまいました。
 たまに東京に出た時は、帰りの高速バスの発着場所が八重洲口だったので、すぐ近くの八重洲ブックセンターを利用していました。何でも欲しい本が手に入るのでその日は用事と共に、本をまとめ買いするのを楽しみにしていました。
 その後ネットをやるようになり、初めて電子書店を利用しはじめ、出会ったのがアマゾンでした。当時の記憶では欲しい本はすぐ検索出来、しかも注文確定から2〜3日以内にほとんどの書物が届いたと思っています。
 アマゾンは創業者ベゾスの抱いていた考え方、つまり「顧客は常に正しい」という思考、又は顧客第一主義を貫き、「品揃え」「利便性」「価格」という顧客の思いを強化すべく全力を挙げて取り組み、常にそれらをよりよく「進化させる」事に腐心して来た為、読書家にとっては必須のサイトとなっていったでしょう。電子書店の泣きどころである中身が分からないという点も、アマゾンではその一部を見る事が出来るようになっており、目次だけを見てもその本が買うに値するかよく分かるようになりました。
 ところが日本経済の沈滞と共に若者たちの貧困化が目立つようになり、買いたくても買えない層の人々が増加し、私は高齢者でありながら、事情があってその層の人々と同じ収入しかないので(年間130万と言う赤木智弘氏よりもっと低い)、本買いはバタッと止みました。
 松戸に引っ越してからは、図書館本館と枝館が充実しており、予約が殺到していない限り検索ですぐ本が読めるようになった為、専ら図書館利用となり、アマゾンへの注文は皆無となりました。
 そのアマゾンの物流センターに進入し、目でみた限りをルポしたのが上記増田氏の本で、その「影」の部分を増田氏と共に私も知ってしまったわけです。
 つまりそこではアルバイトをほとんど投入していますが、彼らの契約期間は2ヶ月、顧客が注文した複数の本など「1分間に3冊」というほぼ実現不可能なピッキング能力の要求、見込みがない者の速やかな首切り、引き下げられる時給といった、およそ人間を人間として扱わない非常な手口です。ここではアルバイトは全くいつでも代替可能なモノのような存在に過ぎません。だからここで長く働いてもまともな生活設計を立てる事が出来ないのです。
 顧客は尊いが現場の労働者は屑同然といった最高幹部たちの考え方は、まさに聖書の神の逆を行くものです。慈愛に富む私たちの神ならこう言われます。
 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している…」(イザヤ43:4)。
 解雇された人々の嘆き声は天に届くでしょう。主なる神はいつまでもそんな人間を貶める人たちを許しておかれないでしょう。