ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

放射能汚染牛の焼却という残念な処分と聖書の牛の捧げ物

 福島県では7月8日南相馬市畜産農家から出荷された牛肉の高濃度セシウム汚染が分かり、それを契機とした調査で汚染地域が広範囲にわたっている事が判明しました。
 この牛肉は最低でも暫定基準値の5倍以上のセシウム汚染があったそうです。その原因は牛が現地で直接放射能汚染のあった飼料を食べた事にもよるでしょうが、宮城県その他から出された稲わらを食べた事も原因だそうです。その暫定基準値に対して実際の計測では、実に数十倍にも達するとの事ですから、これは肉牛の汚染飼料摂取による内部被爆という事になります。牛でさえそれだけ汚染されたわけですから、人間の場合高濃度に汚染されたものを食べた場合、内部被爆は相当になるでしょう。宮城県原発中心からかなり離れていますが、今回そうした深刻な事態の浸透が分かったわけですから、これはもう原発からの放射能を完全に止めない限り、やがてそれが日本全体に及ぶ事は容易に想像されます。
 マスコミで報道されてから多くの日本人がパニックに近い状態で、もう福島産の牛肉は食べない、いやどこのであろうと牛肉は口にしないという人々が増えているようです。
 しかしです。既に京大の小出助教授が指摘しているように、私たちはもはや汚染されたものを食べないわけにはゆかないのです。そして福島の第一次産業を潰さない為にも、現地産のものを出来るだけ食べようという覚悟をしなければいけません。我々60代以上の人間は内部被爆により、あと20年も生きれば白血病などのがんに罹病し死ぬ確率は非常に高くなります。それでも原発災害を引き起こした人たちを「呪いつつ」、従容として引き受けなければなりません。
 でもそうでない若い人々は、私の個人的意見では、出エジプトならぬ「出日本」を果たすべきだと思います。
 この内部被爆を受けた汚染牛、政府は分かっただけでも買い上げをし、然る後全て焼却処分にする方針を固めました。でもそれで生じた灰も微量の放射能を出し続けるでしょう。ただそこらの土の中に埋めれば良いという問題ではないと考えます。
 対照的なのが旧約聖書に書かれている牛のささげものです。その牛は汚れなき神と、罪に汚れた人間との和解の為のいけにえでしたが、祭壇の前に連れて来る牛には条件がありました。例えば以下の箇所です。
 「もしそのささげ物が和解のいけにえの場合、牛をささげようとするなら、雄でも雌でも傷のないものを主の前にささげなければならない」(レビ3:1)。つまり天の神の御前に牛をささげて罪の赦しを乞う場合、傷のない完全なものでなければなりませんでした。汚染された牛は駄目でした。そしてその牛は祭壇の前でほふられ、その上で焼かれました。その過程で発生する香ばしい煙は天に立ち上り、神はそれを嗅いで良しとし、ささげた人の罪を赦されたのです。
 「そこで、アロンの子らは、これを祭壇の上で、火の上のたきぎの上にある全焼のいけにえに載せて、焼いて煙にしなさい。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である」(レビ3:5)。
 そして残った灰は灰捨て場に捨てられました。土壌は汚染されず、ささげものをした人も罪赦され、きよい者とみなされて天幕に帰りました。このほふられた牛は実は救い主イエス・キリストのひな型です。十字架で死なれた主を見て神は良しとされ、それを信じる者の罪を赦し且つ永遠のいのちを賜物として与えられました。日本の危機的状況で、私たちの寿命は相当縮まるでしょうが、大切なのは永遠のいのちです。