ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

佐藤栄佐久氏ー福島における不屈の反原発闘士

 前福島県知事佐藤栄佐久氏の書いた「福島原発の真実」を読みました。そして私は聖書の表現で言えば「自分の衣を引き裂きました」。
 なぜか?この本を読むまでは汚職事件で知事を辞職したという事くらいしか頭に入っていませんでした。全く無知でした。
 ところがこの本により、佐藤氏が不屈の反原発闘士であった事が良く分かったからです。その果敢な行動があった頃、私は茨城県に住んでおり、こちらはゼネコン汚職事件が起きた後だったので、隣の県の佐藤氏もそうした「汚職者」の一人くらいにしか考えていなかったのです。
 この本は佐藤氏が知事に就任してから辞職するまでの原発推進派とのやりとりを詳細に記した貴重な記録となっています。実に細かく記されており、その内容を丹念に追いかけて本当に理解する為には、繰り返し読む必要があるでしょう。まさに佐藤氏があとがきで、「事実関係や会議でのやりとりは、できる限り議事録や新聞記事などで跡付けを行った」と書いているように、面目躍如たるものがあります。
 特に福島県のトップである知事として、次の言葉は見逃せません。「議論は徹底的に開かれたものにし、最後は最高責任者である私が決断する。これが私の、知事としてのリーダーシップのスタイルである。原発政策についても、まったく同じように対処しようと思った」。教会では或る程度同じような指導権を持つ者として、この考え方は貴重なものです。混迷している管政権に欠けているのは、徹底的な論議を重ねて納得し合い、国会或いは国民に信を問う姿勢ではないですか。佐藤氏のこの姿勢は知事辞職の時点まで貫かれていたと思います。
 ですから突然降って湧いたような汚職事件と逮捕劇で、不正だらけの原発関係者の追求が止んでしまったのは、読んでいる私にも疑念を起こさせました。目の上のたんこぶである佐藤氏を潰してしまえば、福島の原発推進がスムーズに行くといった何か得体の知れない国策逮捕を感じさせてしまったのです。
 佐藤氏が書いているように、この汚職事件の背後に、あの村木事件ででっちあげ逮捕をした前田というチンピラ(言葉は悪いですがピッタリなので。以前のブログでもそう書いています)検事が関わっていたというのが、その事を暗示しています。是非最高裁で無罪を勝ち取り、引き続き福島原発の功罪を追求し続けてもらいたいものです。
 ところで聖書でも強力な外圧に対して国のトップとして強い指導権を発揮した人物がいます。南ユダ王国のヒゼキヤ王です。王政の14年目に強敵アッシリヤの王セナケリブが攻めて来て、ヒゼキヤ王の牙城を落とそうとします。セナケリブはヒゼキヤが主なる神に頼りその主導権を貫いているのを知り、手下の司令官や使者たちを遣わし、ユダの「役人」たちと交渉させます。懐柔策や脅しを取り混ぜてでした。
 「ヒゼキヤの言うことを聞くな。アッシリヤの王はこう言っておられるからだ。私と和を結び、私に降参せよ。そうすれば、おまえたちはみな、自分のぶどうと自分のいちじくを食べ、また、自分の井戸の水を飲めるのだ」(列王第二18:31)。
 「おまえは、アッシリヤの王たちがすべての国々にしたこと、それらを絶滅させたことを聞いている。それでも、おまえは救い出されるというのか」(同19:11)
 どうです。東電や国が佐藤知事や県職員に対して行なって来た事と良く似ているではありませんか。
 結局ヒゼキヤと国民は恫喝に屈する事なく勝利しました。おそらく佐藤前知事もその汚名を晴らす事が出来るでしょう。