ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

望郷の涙

 7月24日の朝日新聞に、「この海の先かすむ故郷」という題でルポした記事が載っていました。
 東日本大震災による津波被害、そしてとりわけ原発の存在する福島県の人為的災害により、住み慣れた故郷を離れざるを得ない人々が多くおられます。
 このルポでは宮城県石巻市津波災害に会い、奇しくも生き延びた佐藤俊一郎さんと芳子さんの夫妻が対象でした。
 家も仕事も失ってしまいましたが、長男のつてを頼り、静岡県熱海市のリゾートマンション管理人として職を得る事が出来ました。職を得る事だけでも極めて困難な現状では、二人は今の生活を「恵まれている」と思っています。周囲の住民たちも暖かく見守ってくれています。
 ルポで添えられた写真には、このマンションの最上階から太平洋を眺めている夫妻が写っています。この太平洋は遠く石巻市まで続いていますから、それを想いながら「望郷の念」に駆られている様子が痛いほど良く分かります。
 その芳子さんに故郷の友人から電話がありました。しかしその声を聞いた瞬間、芳子さんは涙を抑える事が出来ず、まともな会話が出来ずに電話を切ってしまいました。そしてもし次にかかってきたとしても、また涙で話が出来なくなると思い、もう電話に出られなくなってしまいました。
 私もそうした記事を拝見すると言葉を失ってしまいます。聖書には「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます」(コリント第一10:13)というみことばがありますが、今は佐藤さん夫妻がこの試練から抜け出て、寂しさのない脱出の道を見出せるよう祈るほかありません。
 ところで聖書には次のような、ひどい試練に会って故郷を追われたユダヤ人の詩があります。
 「バビロンの川のほとり、そこで、私たちはすわり、シオンを思い出して泣いた」(詩137:1)。
 いわゆるバビロン捕囚に会った人々は遠くバビロンの地から、故郷であるシオンの都(=エルサレム)を思い出し泣いています。佐藤さんのようです。エルサレムは破壊尽くされ、戻れるのかどうかも分かりません。そこではかつて主を賛美する喜びの唇がありました。立琴を持ち、右手で爪弾き礼拝をしていました。今この異教の地ではとてもそんな心境にはなれません。でも捕らえ移した者たちは彼らに歌を強制します。そこで彼らは楽器をも放棄し、口を閉ざしました。爪弾く巧みな右手も動かす事はありませんでした。
 でも彼らは主なる神に望みを置き、七十年の後喜びをもってシオンに戻る事が出来ました。
 原発汚染は止まる事なく、佐藤さんの故郷岩手にも広がって来ています。果たして原発に怯える事のない平和な日本はやって来るのでしょうか。