ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

古墳から出土した石枕

 7月20日の朝日新聞(松戸は千葉なのでその話題のあるページ)では、「古墳出土の石枕ー企画展」という題で、展覧会の紹介がされていました。
 それは千葉県内の遺跡発掘で出土した遺物を紹介する巡回展示会となっています。この展覧会の掲げているテーマが「房総発掘ものがたり」で、とりわけ県内で見つかった古墳出土の「石枕」が目玉になっているようです。それに銅銭など他の遺物が展示されています。

 朝日によると、この石枕は遺体の頭の下に置いたもので、全国では何と120個も見つかり、そのうち千葉県で半数に迫る50個が出土したそうです。
 考古学を昔専攻しましたが、こうしたものの存在はうかつにも知りませんでした。既に1980年頃一度展示会を行ったそうです。
 国立歴史民族博物館(千葉県佐倉市)のホームページで、石枕について杉山晋作氏が解説しています。
 朝日の記事にあった石枕は、千葉県若林区の東寺山石神遺跡という所にある東寺山石神2号墳から出土したもので、滑石製の石枕に立花(りっか)というものが9つ、枕の周囲に立てられています。それは枕の穴に嵌め込まれたもので、死者の蘇生を願ってのものだったようです。ですから死が確定すると取り外されました。石枕は木棺(既に朽ちています)に埋葬された遺体の頭の部分に置かれていました。死者が安らかに眠れるようにという意図があったようです。
 勿論その死者はよみがえる事がなく、石製の枕だけが他の遺物と共に残っただけでした。
 この枕から聖書例を検索してみますと、救い主イエス・キリストが地上で福音を宣べ伝えていた時、言われたみことばがあります。
 「すると、イエスは彼に言われた。『狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません』」(マタイ8:20)。
 この人の子は救い主ご自身を指しています。十字架に至るまでのおよそ3年半、イエス・キリストは父なる神のみこころに従って伝道の為に奔走していましたが、その間安らかに眠る事の出来る場所などありませんでした。それこそ野外で石を枕に寝て次の日に備えておられたのかも知れません。
 そして十字架刑の後埋葬されました。
 「それから、イエスを取り降ろして、亜麻布で包み、そして、まだだれをも葬ったことのない、岩に掘られた墓にイエスを納めた」(ルカ23:53)。
 この岩に掘られた墓は日本の古墳時代後期にもよく見られます。違うのはそうした石枕などの一連の埋葬品がなかった事です。しかし古墳の埋葬者は二度とよみがえる事が無かったのに対し、救い主は3日目によみがえり、弟子たちの前に現われられました。
 「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です」(マルコ16:6)。
 信徒は救い主が私たちの罪のため身代わりとなって十字架で死に、埋葬され、3日目によみがえられたという良き知らせ=福音を信じています。