ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

優勝したサッカーチームなでしこジャパンのトロフィーが被災地へ

 私は自宅マンションにテレビを置いていないので、サッカーの女子ワールドカップの決勝戦が7月18日未明にドイツで行われ、なでしこジャパンが圧倒的強さを誇る米国を破って初優勝を果たした出来事は、19日の朝刊を見るまで知りませんでした。テレビ中継されたのでしょうが、新聞報道で感激の場面が写真に写っているのを見て、これは凄い!と後で感動した次第です。
 東日本大震災の後遺症が長く続く鬱々とした日々の生活の中で、これは一つの明るい話題の提供となったようです。昔東京五輪の女子バレー決勝戦はテレビで夢中になって観戦していたので、今回女子サッカーの優勝シーンを逃したのは誠に残念でした。
 それよりこのチームが一丸となって諦めずに勝利まで突き進む姿は、確かに東北の生き残った人々に対して、大きなインパクトを与えた事でしょう。しかしその被災の深刻さを思う時、報道機関のように軽々しく「復興への大きな励みとなる」などと言える状況ではありませんが。
 ところでスポニチのサイトを見ていたら、この優勝トロフィーが甚大な被害を受けた岩手県宮城県福島県を中心に巡回展示される予定がある事を知りました。勿論そのトロフィーは「絶対に諦めない姿勢」を象徴したものでしょう。
 その時ふと鎌田實先生の『がんばらない』と『あきらめない』を思い出しました。先生は僕が落ちた高校から東京医科歯科大学へ進み、全共闘運動で東大の故今井澄行動隊長と知り合い、あとで共に長野県の諏訪中央病院にて医療に携わりました。この鎌田先生の頑張らないけれども諦めないという考え方は、医療分野で大いに浸透したと思いますが、『あきらめない』の中に出て来る今井先生の最期はまさにそれを実践した形で、私も涙を抑える事が出来ませんでした。
 今東北の被災者の方々に「頑張れ」「頑張れ」の大合唱が相も変わらず繰り返されていますが、もしこの優勝トロフィーがそうではなく、「諦めるな!」という事のシンボルになれば、幾分多くの方々の慰めにはなるかもと期待しています。
 聖書には「しかし、今、しばらくの間、私たちの神、主のあわれみによって、私たちに、のがれた者を残しておき、私たちのためにご自分の聖なる所の中に一つの釘を与えてくださいました。これは、私たちの神が私たちの目を明るくし、奴隷の身の私たちをしばらく生き返らせてくださるためでした」(エズラ9:8)というみことばがあります。バビロン帝国の攻撃で滅んだユダ王国では、死を免れた「残りの者」がバビロン捕囚に会いました。その人々が主なる神の憐れみによりペルシャ王を通して無事帰還する事が出来ました。廃墟となったエルサレムで放心し諦めがちなユダヤ人らに、主は彼らの目を明るくし、心を新たにさせ、魂を元気づけ、絶対に諦めない為の確かな拠り所として「一つの釘」を与えられました。それは復興の天幕を支え、強固にするペグの役割を果たすものでしたが、確たる希望を象徴的に表現したものととる事が出来ます。
 なでしこの優勝トロフィーがこの「一つの釘」となってくれる事を待ち望みます。