ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

大井玄著『人間の往生』を読んで思った事

 図書館で上記の本を借りて読みました。副題が「看取りの医師が考える」とあったので、自分にも参考になると思ったのです。
 出出しは良かったです。例えば高齢者の老衰という事を考えてみた時、世田谷区の医師石飛氏の著書から引用していますが、食べなくなったという兆候が非常に大切だと思いました。その時は「食べさせる努力」から「誤嚥性肺炎を起こさない努力」の方向へ転換させるのです。それに失敗したのがまさに私の母の事例でした。食べないと死んでしまうという気持ちから、必死になって無理やり晩飯を母の口に入れていました。結果は腸閉塞となり、それから間もなく天に召されました。今でもトラウマとなっています。現在介護中の方々は「少量摂取」という事を心がけた方がよさそうです。
 がん死した東大の細川教授の遺構詩集も参考になりました。がんを家族が告知せずとも本人はほとんど知っていて、知らないふりをする。それはケアする人々への「優しい気配り」というのも貴重な知識となりました。
 また比較的若い方が突然死に向かい合う時しばしば発する「なぜ、私にだけ、こういう不幸が起こっているのか」という疑念も、「自然ではあるものの、典型的に不毛な自問」と言うのは、少し酷ではありますが、なるほどそうした言い方もあるのかと思いました。
 しかしこの本の後半になりますと、題名と関わり合う身近な問題というより、かなり難しい議論を展開し始め、この切実な事柄をやさしい表現から知りたいと思う人なら大いに失望するでしょう。キリスト教信徒である私もその思いを強くしました。有名な精神科医師だった神谷美恵子氏の著作から「私が『キリスト者になれない理由は、イエスが三〇歳の若さで自ら死におもむいたためだ」などというくだりをあえて引用するのは、全く不毛です。
 また英国の典型的無神論者、進化論者であるリチャード・ドーキンスの言葉を引用しながら、キリスト教批判に向かっているのも、それが看取りとどう関係があるの?と問いたいくらいです。大井氏は東大医学部卒の頭の良い人ですから、聖書のみことばをその中で虚心に考えてみる事をしません。聖書の外部的な批評学からも批判を加えています。他にも「神を信じないクリスチャン?」田川健三氏を引用したりで、「往生」の事はそっちのけ、キリスト教をやっつけています。「矜持」をぷんぷんさせているこの本から私が学ぶべき事はもうないと、後半を一瞥して投げ出しました。「終末期医療全般に取り組む」と著者紹介にありましたが、私なら大井氏に看取ってもらいたくないという気持ちです。
 勿論キリスト教の深いところは教職者である私も、まだその序の口みたいなところにいるわけですが、それでも終末期の患者さんに対するその教えの効果は、私自身も、また他のクリスチャン医師たちが多く経験している事です。
 僅か33歳で自ら十字架に向かわれたイエス・キリストの、復活して今も語っておられるみことばは、死に直面した人々への大いなる慰めになると信じます。
 「ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです」(ヘブル7:25)。