ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

役立つか分からないものでもとにかく取っておく

 大学時代の専門と関連する文化人類学に関心があったので、1〜2年の教養課程の第二語学として(教授の勧めもありましたが)フランス語をとり、一生懸命勉強しました。そして2年の時レヴィ=ストロースの「野生の思考」を読み、初めて「ブリコラージュ」という言葉を知りました。当時どう日本語に訳したら良いのかわかりませんでしたが、この頃のネットなどを参照しますと、「器用仕事」と訳されているようです。意味としてはウイキペディアにあるように「その場で手に入るものを寄せ集め、それらを部品として何が作れるか試行錯誤しながら、最終的に新しい物を作ること」です。
 最近良く読む内田樹さんも仏文学専攻とあって、この言葉やその仕事をする人を指す「ブリコルール」を著書の中でよく見かけます。
 内田先生は先日触れた『邪悪なものの鎮め方』第三章で、「そのうち役に立つかも」という題で予備校生たちに講演をしていますが、その中でもこのブリコラージュに言及しています。ちょっと引用します。「ジャングルの中を歩いていると、『何か』が目に止まる。何だか知らないけど、それに惹きつけられた。どうしてなのか、理由はわからない。それが役に立つのかもわからない。でも、これがそのうち、ある状況において、死活的に重要なものだったことがわかる日が来るような気がする。だから、とりあえず『合切袋』に放り込んでおく」。
 ひところ辰巳渚さんの『「捨てる!」技術』 (宝島社新書)が良く読まれ、引っ越しが多い私もどうやってモノを捨てて身軽になれるか研究したものです。特に商売柄本が多いものですから、これは当面不用だけど、将来役立つかも知れない、だからどうしようなどと何度考えた事か。そしたら評論家の立花隆氏が辰巳さんをひどく非難し、やはりレヴィ=ストロース的な思考を展開していました。なるほどそれも一理あるなと思い、結局本だけは今日に至るまであまり捨てませんでした。将来メッセージで使う場合もあるだろうと思いながら。ですから捨てた本に役立つ事が書かれていて、しまった捨てるのではなかったと後悔した経験は何度かあります。最近は松戸市の充実した図書館を良く利用するので、購入は原則一度で頭の中に入らない理科系の新書くらいで抑えています。
 それを考えながら、ふと聖書の救い主イエス・キリストならどう考えられただろうかと思いました。イエスはその福音伝道の為に弟子たちを見出されるわけですが、それがどうも上記のような光景に似ているような感じがします。最初から弟子として頭脳優秀、律法に精通しており、即戦力になるという事なら、当時の律法学者やパリサイ人と言われる人々から選び出せば簡単だったでしょう。でもそうされなかった。むしろ人間の目から見ると、ペテロにしろマタイにしろ、こんな人たちで大丈夫かなと思われる人物を、伝道の為行く先々で召されたのです。イエスは「ブリコルール」だったと思わされるのです。
 しかしイエスは全能者で、いつも人の「心を見抜いて」(ルカ11:17他)おられました。今は無学だったり、同胞の嫌われ者だったりしているけれど、復活・昇天した後、必ず教会を背負って立つ者になるから、引き止めておこうと。事実イエスの「合切袋」の人々は新約聖書を立派に書き上げました!