ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

津波災害が起きた時逃れる避難ビル

 8月19日の朝日新聞に、「津波避難ビル基準緩和」という見出しで、国土交通省が纏めた新たな方針案が紹介されていました。
 「津波避難ビル」というものが存在し、しかも国が細かく厳しい基準を定めていた事がこの記事から分かりました。
 それによりますと、この建物は鉄筋コンクリート製で、実際の津波の高さの3倍の波が押し寄せても、その時の水圧に耐えられる強度を要する、というのが従来の基準でした。しかしそれは実験で産出した値であり、「実際の津波被害に基づいて計算したものではなかった」とあります。ならば実用性に乏しいものである事がすぐ分かります。実際今回の東日本大震災では、国交省が委託した研究機関がつぶさに現地を視察し、岩手、宮城、福島に既に存在していた建物・橋・塀など100件ほどを調査しました。その結果津波の高さのみの場合と、海・防潮堤・建物の位置関係の場合に分けて水圧を推測測定したところ、最大1・5倍の水圧に耐えられなかった避難ビルのみ倒壊した事が分かりました。従来の3倍という基準は厳し過ぎるという事が判明したわけです。ところがその為に建設会社などが建てたこの避難ビルの棟数は、東北6県では全国の僅か3・8パーセントで、大部分は東海・四国地域に偏っていたそうです。
 建設会社としては、既にこの基準の緩和を国に要望していたのでしょうが、今となっては遅すぎました。机上の計算ではなく、もっと早く現地調査をし、今度の新基準である1〜2倍程度で認定していたら、特に東北3県の海側の地域に、多くの避難ビルが建って、救われる人々の数が相当増えたのではないかと思われます。こうした僅かな問題でも、霞ヶ関を離れて現地を視察しない官僚たちの怠慢さが浮き彫りにされます。
 ところで聖書にも災いの時の「逃れの場」というものが存在しました。
 「あなたがたは町々を定めなさい。それをあなたがたのために、のがれの町とし、あやまって人を打ち殺した殺人者がそこにのがれることができるようにしなければならない」(民数35:11)。
 これは上記の事例とは全く状況が異なり、過失殺人を犯した人が復讐を避ける為、逃れの場として指定された町に逃げ込む事が出来るという事を指しています。勿論その町において逃れた人は裁判を受けなければなりません。津波という災いがここでは迫って来る血の復讐者になります。指定された町々ではそうした輩を防ぐ為、特定の強固な建物があったのではないでしょうか。江戸時代から現代まで通じる「駆け込み寺」のようなものです。
 でもそれ以上に大切な逃れの場があります。
 「主よ、わたしの力、わたしの砦/苦難が襲うときの逃れ場よ…」(エレミヤ16:19新共同訳)。
 ここに出て来る砦(ヘブル語マオーズ)が「安全な場所」「防備の場所」という意味です。また逃れの場(ヘブル語マノース)も「安全な場所」「避難場所」という意味になります。エレミヤは似たような発音の言葉を2つ並べて、「逃れの場所」を強調しています。それではその場所はどこにあるのか。実は目に見える建物の事ではありません。主なる神ご自身の事です。もう一箇所出しておきます。
 「まことに、あなたは弱い者の砦/苦難に遭う貧しい者の砦/豪雨を逃れる避け所/暑さを避ける陰となられる。暴虐な者の勢いは壁をたたく豪雨」(イザヤ25:4新共同訳)。
 東日本大震災で被災された方々は、未曾有の苦難に遭っています。その逃れの場所、避難所、仮設住宅も、人間の手によるもので、完全ではありません。
 究極的な避難ビルは主なる神のうちにあります。そこに逃げ込む事で、たとえ死に直面しても安全です。主が苦しみのない天国まで導いて下さいます。