ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

シナイ半島からのイスラエルに対する攻撃

 2011年8月19日のサイエンスモニターサイトでは、「イスラエルはガザに対して報復攻撃をしているが、戦争抑止政策の標的が変わった」といった題で、2人の人が執筆しています。
 エジプトとイスラエルの国境はシナイ半島をほぼ南北に延びる形で存在しています。そして国境の海岸寄り、イスラエル側にパレスチナ自治区ガザが存在します。そこはイスラム原理主義組織ハマスが実質的に支配しています。

 8月18日イスラエル南部の町エイラートから北15キロほどのシナイとイスラエルの国境付近で、ハマスとは関係のない何らかの過激派組織が、このルートを通るバスに攻撃を仕掛けました。彼らはガザから秘密のトンネルを掘ってシナイ半島に出て、およそ200キロを南下し、ただの防御フェンスしかない手薄な場所から侵入し、200メートルほどの間隔でバスを待ち伏せし、ライフル、手榴弾などで攻撃したようです。この第一陣の攻撃は死者が出ませんでしたが、その後来た乗客のいないバスと複数の車に射撃を加え、数人が殺されました(この戦闘の詳しい経過はイスラエルのハー・アーレツ誌電子版のサイトに載っています。それは元外交官だった野口雅昭氏のブログページによっています)。その後はイスラエル軍も到着して激しい戦闘になり、双方に死者が出ました。そして戦いは終息しました。
 この事態を重く見たのがイスラエル政府です。これまでエジプトとの境のテロリストたちの対処では、北部境界のガザを標的にしていればよかったのですが、今度の彼らの攻撃がガザからシナイ半島南部まで及んだ事から、これまでの標的を大きく変更しなければならないなりました。
 ちょうどエジプトではムバラク政権が倒れ、新しい政府はまだシナイ半島の方まで兵力を増強出来る状態ではなかったからです。
 そもそもイスラエルとエジプトとの間では、第四次中東戦争に至るまで激しい戦闘があったわけですが、1967年の第三次中東戦争で、イスラエルは上記ガザ地区シナイ半島を占領していました。しかし第四次中東戦争後の1978年に、エジプトは単独でイスラエルと平和条約を結びました(4年後シナイ半島はエジプトに返還)。その時の大統領がサダトで後継者がムバラクだったわけです。その政権が倒れたため、イスラエルはエジプトに対する新たな戦略を練り直さなければならなくなりました。シナイ半島が新たなテロの拠点にならないためにも、戦争抑止政策の見直しを迫られた事になります。
 そんな事を調べながら浮かんだ聖書箇所があります。出エジプト記です。イスラエルは長らくエジプトで奴隷のような生活を送っていましたが、神は指導者モーセに対して、そこを出て約束地カナンへ向かうよう命じられました。その時のルートですが、こうあります。
 「さて、パロがこの民を行かせたとき、神は、彼らを近道であるペリシテ人の国の道には導かれなかった。神はこう言われた。『民が戦いを見て、心が変わり、エジプトに引き返すといけない』」(出エジプト13:17)。
 これを見ますと、神はイスラエルの民を上記のガザを通過する近道へと導かれませんでした。そしてシナイ半島を南下させ、そこから反転してパランやツィンの荒野(これが図にあるように、現在のイスラエルとエジプトとの境界あたりに存在)を通らせられました。民を試練に会わせる為、わざわざ遠回りをさせ、険しい荒野を進ませられたのです。ですから人も住めないようなこのルートは「シナイの真空地帯」でした。そこをテロリストたち(アルカイダも含まれる?)が戦略の拠点にしたわけですから、イスラエルは完全に虚を衝かれた形になったというわけです。遠い昔と現在が思わぬ形で繋がりました。