ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

物欲は世界を救うのか

 朝日新聞では「リレーおぴにおん」と称して、様々な人を登場させていますが、「物欲は世界を救う」という主題の下、8月23日には宝島社のファッション誌「sweet」の編集長である渡辺佳代子さんが、そして8月24日には「東京ガールズコレクション」のチーフプロヂューサーである奥田真希さんが書いています。ちょうど哲学者森岡さんの「欲望ー誘惑論」批判を書いたので、聖書の観点から考えて見たいと思います。
 渡辺さんは40代、奥田さんは30代後半の方です。写真を見る限り、二人とも生き生きしています。東日本大震災が生じ、日本経済の逼迫に追い打ちをかけ、世の中全体が暗い雰囲気に包まれています。その為若者、特に女性たちが物欲を失い、元気を無くしているそうです。
 そこで渡辺さんは「物欲は大事です。もし若い25や30の女の人が、服欲しくない、家欲しくない、彼氏欲しくないって、欲がなくなったら…そんな国って、さびしくないですか」と問題提起しています。奥田さんも「モノに対する好奇心が薄れるのはちょっと怖い。いいモノを集めたい、という欲求や快楽を封じ込め、心を貧しくしないでしょうか」と問いかけています。
 しかしそれには賛同しかねます。現代日本の大半の若い男女が所得格差のひどくなっている現状で、果たして「モノを買う」余力があるのかというのが、まず疑問視されます。かつて日本の若者たちは競って「高級車」を得る為、懸命に働いていました。しかし今の若者たちはそうした車への関心も薄れているそうですが、それには可処分所得が大幅に減っているのも絡んでいるのではないですか。
 でもその事は差し置きます。二人の問題提起には、聖書の観点から異議を申し立てます。
 創造のはじめに神はアダムとエバを造られました。その時の二人には食欲も性欲も備えられていた事が推測されています。では物欲はどうか。エデンの園では神が創造されたもので満ち溢れていました。二人はそれで満足していた為、あえて物欲など生じなかったでしょう。何より神との霊的な交わりこそ、二人の心を充足させていました。
 しかし二人が罪を犯して堕落してから、物欲は急速に世界に広がって行きました。「すべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように」(テモテ第一6:17)と言われている神を捨てたのですから、人間たちは自分で勝手に欲望を満たそうとしました。しかしそれで満足は得られたでしょうか?答えはノーです。若き日のソロモンはこう証しています。
 「私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。実に私の心はどんな労苦をも喜んだ。これが、私のすべての労苦による私の受ける分であった。しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない」(伝道者の書2:10〜11)。
 上記箇所「むなしい」(ヘブル語ヘーベル=空虚)がこの書のかぎとなる言葉ですが、ここには神を求めずモノばかり追求しても、心は一向に満足出来ず、かえって貧しくなった大富豪のつぶやきがあります。勿論クリスチャンたちの中にも、かつては富と栄誉に満たされながら、心はむなしくなる一方で、その深刻な問題の解決の為、神を求め始めたという証をする人々が多くいます。
 結論ですが、「神の国とその義とをまず第一に求め」る(マタイ6:33)人こそ、その心はさびしくもなく、貧しくもないのです。上記二人の方がその大切な事実を悟る事が出来るよう祈ります。