ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

口からの災いを防ぐ為に政治家もマスコミも聖書を読むべきです

 2011年9月10日の新聞の朝刊と夕刊で鉢呂経済産業相の一連の「不穏当とされる」発言が報じられていました。
 それは二つあって、一つは9月9日の発言で、8日の福島第一原発視察を踏まえ、その周辺の市町村が「市街地は人っ子一人いない。まさに『死の町』という形だった…」というものです。二つ目はその視察の日の晩に「放射能をつけちゃうぞ」と数人の記者たちに言って、ついでに防災服の袖をなすりつけるようなしぐさをしたというものです。
 その発言が報じられると、波紋が内閣、野党、そして原発周辺地域の人々にまで燎原の火のごとく広がって行きました。
 特に最後の被災地の人々の反応としては、だいたい次のようになるかと思います。即ち第一の発言について、状況はまさにその通りであるにしても、政府の強制的な避難命令の結果その光景が生まれたわけですから、避難住民としては、長く住み慣れ愛着のある地で何とか生きたいという気持ちがあるのに、それを逆なでにしたというものです。
 第二の発言はどうか。私としては原発近距離で視察した場合放射性物質が防災服に付着する事はあり得ると思うので、なぜ鉢呂氏がその服を着たまま、議員宿舎に戻ったのかという疑問が残ります。「低レベル放射性廃棄物」として、現場で処理しなければならないものでしょう?あえてそうせず、付着した可能性のあるものを記者たちになすりつけるしぐさをしたという事の真意は何か。本当に「放射能をつけちゃうぞ」、それだけ恐ろしいものだから、諸君は一刻も早く除染しなければ駄目だという事を認識して欲しい、という事を示す為の「迫真の演技」だったのでしょうか?でもそれは除染検査も受けて安全な被災者やその子どもたちへの偏見・差別・いじめに即繋がるという事で、避難住民は怒り心頭に達してしまいました。結果として鉢路大臣は辞任しました。
 私なりにそれらの発言の真意を理解しようとしたわけですが、たまたま楽天のサイトから「日々雑感」というサイトへと移り、そこで「鉢呂経産相の『放射能をつけたぞ』発言、ネット上で新聞社の陰謀説浮上」という記事を見かけました。そこで諸新聞を比較しながらの真相解明を追って行くと、最後に大臣が「組閣後、唯一“脱原発”を明確に明言した人」とありました。それを見た途端、先にブログで書いた福島県前知事佐藤栄佐久氏の事を思い出しました。反原発を貫いた為、国や東電などの陰謀で贈収賄事件をでっち上げられ、辞任に追い込まれたという本の内容です。それと同じような事がまたここで…?とも勘ぐりたくなってしまいました。それでも鉢呂氏の軽率さは残ります。
 鉢呂氏だけでなく民主党閣僚たちの間でも不穏当な発言が目立っています。自民党長期政権で「舌禍」が当たり前だった事もあり、そっくり民主党にも受け継がれた形です。
 聖書にはそうした舌の厳格な制御に触れた箇所が多くありますが、特に下記ヤコブの手紙の箇所が、慎重さを欠く政治家やマスコミ関係者への大いなる警告になるはずです。それを銘記し、西欧の政治家のように、信仰の有無はとにかく聖書からの引用が出来るほどになって欲しいです。
 「舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きい森を燃やします。舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます…しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています」(ヤコブ3:5−6,8)。
 ネット上で裁き合い、貶し合う事があまりに多い現在、私も自分の舌にくつわをかけておかなければいけないと自戒しています。