ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

再度アーミッシュの質素な生活を考える

 東日本大震災は都会に住む私たちの生活にも甚大な影響を与えました。浦安のマンションの10階に住んでいる私の友人は、液状化現象で上下水道が破損し、ガスの供給も一時止まった為、特に上水道が使えない事で相当苦労したと語ってくれました。この地域は計画停電が実施されなかったので、その面での不自由さはなかったとの事でした。しかし他の多くの地域では停電があって、電気の供給が止まった為に、「オール電化生活」に慣れ切ってしまっていた私たちは、改めて電気の貴重さを噛み締めました。それでこの夏には企業・工場その他で大掛かりな電力節制が実施されました。私はと言えば、夏場の「蚊」に悩まされるので、ビンボーながら大奮発して、布団の長さほどの折りたたみ式「蚊帳」を買って、夜窓を開け放して寝ました。築35年を過ぎたマンションですが、幸い6階西の隅だったので、風の通りもよく、クーラーは一度も使わず済みました。引っ越して来てから四回目の夏を迎えましたが、記録的な猛暑の夏だけ数回使っただけです。その時は節制のし過ぎで、パソコンが壊れた苦い記憶があります。
 こうした経験からもうエアコンは使わないと決心しました。電気・ガス・水道とも極力節約していますが、そうした質素な生活に慣れました。でもそれは私だけの個人的な問題ですが、5月3日のブログで紹介した米国アーミッシュの人々は、集団でそれを実行しています。
 最近米国在住のマクレーン末子氏のサイトを見つけよく閲覧していますが、氏は既に2009年10月5日のブログにおいて、「便利さは堕落 伝統を固持するアーミッシュ」という題で取材してました。
 単なるネット情報ではなく、実際インデイアナ州北部の村エンマで写真を撮ったり、アーミッシュの信徒にインタヴューしていますから、私にはとても大切な情報となりました。というのはこのアーミッシュ、オランダのバプテスト派信徒たち(アナ・バプテスト=再浸礼派、又はメノー派、又はワルドー派と同じ)の流れを汲む一派で、聖書における福音の教理の純粋さを保って来たからです。私もそのバプテスト派に属しますが、このアーミッシュほど徹底した節制はしていません。と言うかその環境下にありません。
 マクレーン末子氏によれば(http://www.newslogusa.com/?p=854)、この派にとってまさに便利さは堕落なのでしょう。ですから「質素をモットーとし、自給自足です。水は井戸や川から。電気は使いません。灯りをとるのに、ナプサガスを買いますが。ラジオ、テレビ、電話はありません」という事になります。
 私としては、都会において完全な自給自足は不可能ですし、上下水道はやむを得ず使っていますが(前の茨城鉾田では井戸を掘りました)、携帯は持っておらずテレビもありません。ラジオは最近音楽も止め、専ら地震情報の時だけ使います。固定電話も出来るだけ相手待ちにしています。そしてこの簡素な生活が気に入っています。モノが回りにあるのは煩わしい位です。職業上本だけは昔買ったのが多くありますが、最近はほとんど買わず図書館から借りて過ごしています。
 マクレーン末子さんは大切な事を伝えています。アーミッシュの人々が高等な知識は信仰の妨げになるとして、聖書以外の読書を禁じている事です。
 実はそれも全く聖書的です。私たち信徒は聖書の深さ広さを考える時、それだけで読書は十分なのです。他に知識を求めて本を買い漁り、読書三昧にふけるのは、身体も疲れるし、目も悪くなります。そしてその時間だけ聖書から離れ、信仰も弱る事があり得るからです。伝道者ソロモンはこんな事を言っています。
 「わが子よ。これ以外のことにも注意せよ。多くの本を作ることには、限りがない。多くのものに熱中すると、からだが疲れる」(伝道者の書12:12)。 
 自宅に蔵書の山を築き、知識を誇っている人にはさぞ耳の痛い話でしょう。 
 聖書だけに集中しているアーミッシュはそのみことばの実践に余念がありません。怒らない、喧嘩をしない、他人を豊かに赦す等々。私にはなかなか…。
 私はマクレーン末子さんの記事から、ますますアーミッシュの生活に憧れ、彼らの共同体の中に移住したくなりました。