ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

あのやらせメール事件で有名な九電社長はどこを向いているのか

 この7月17日に「九電やらせメール事件ーその下手な陰謀と聖書例」と題してブログを書きました。7月15日の時点で、当時の海江田経済産業相が真部利応社長に辞任を要求していました。それで8月末までにしぶしぶ社長は辞める事を表明しました。
 このやらせメール事件については、もうウイキペディアがその経過について編集しています。「玄海原子力発電所2,3号機の運転再開に向け日本の経済産業省が主催し生放送された「佐賀県民向け説明会」実施にあたり、九州電力が関係会社の社員らに運転再開を支持する文言の電子メールを投稿するよう指示していた世論偽装工作事件(サクラ、やらせ)である」。
 その発覚を受けて、九電側では7月27日に問題の検証と再発防止策の検討を行う第三者委員会設置を決定しました。その委員会の長が有名な弁護士の郷原信郎氏です(企業の法令遵守問題に詳しい元検事だった人)。遵守=コンプライアンスの事を知りたくて、氏の本を何冊か読みました。手堅い人だと思います。
 第三者委員会はこれを受けて9月8日に中間報告書、9月30日に最終報告書を纏めて九州電力に提出したわけですが、その過程で佐賀県古川康知事も事件に一枚噛んでいた事が発覚しました。
 そして10月14日九電自体も最終報告書を纏め、経済産業省資源エネルギー庁に提出したのでした。
 ところがです。その内容たるや全くひどいもので、第三者委員会の報告内容をほぼ無視し、古川知事の関与も認めず、社長や会長も取締役会の決定を受けて続投する事にしたのです。
 このニュースが伝わると、世の中騒然となりました。委員長の郷原氏は「まやかしだ」と怒り、枝野経産相も「どういう神経か」と不快感を露わにし、社長らに辞任を求めました。当然の事です。
 世論としては福島原発事故以来、もう原子力に頼るのはやめようという方向に向かっているのに、これでははじめに玄海原発ありきという事で事件を収拾しようとした九電の意図がありありです。
 取締役会が最高の権限を持っているのでしょうが、そのメンバーを含め、以下の聖書にあるような人物ばかりです(原発をこれまで容認して来た私たちも)。
 「彼らはみな、そむき去り、だれもかれも腐り果てている。善を行なう者はいない。ひとりもいない」(詩53:3)。
 さらにひどい事が10月13日生じました。九電が青森の六ヶ所村に搬入した高レベル放射性廃棄物のガラス固化体の中に、受け入れ基準の実に47倍の放射線量が測定されていたものも入っていた事が発覚しました。放射能の事ですから(特にガラス固化体は危険)それを九州から青森まで撒き散らしながら搬送した事になります。これはれっきとした犯罪ではないでしょうか。この記事はあまりマスコミでも問題にされていませんが、次のブログ(http://blog.goo.ne.jp/junsky)でも、10月15日に詳しく述べています。
 上記第三者委員会を「祭壇」になぞらえ、九電取締役会や株主や原発推進の電力業界など委員会の上に位置する組織を「その上の供え物」になぞらえ、九電社長らをパリサイ人らになぞらえると、もう一つ聖書箇所があります。
 「(律法学者・パリサイ人の言い分)だれでも、祭壇をさして誓ったのなら、何でもない。しかし、祭壇の上の供え物をさして誓ったら、その誓いを果たさなければならない。イエス・キリストの言い分)目の見えぬ人たち。供え物と、その供え物を聖いものにする祭壇と、どちらがたいせつなのか」(マタイ23:18)。
 イエスなら九電社長らを指して、盲目で忌まわしい偽善者たちと激しく非難されるでしょう。そして勿論第三者委員会の言い分を支持されるに違いありません。しかし社長らにとっては、第三者委員会そしてその膨大な検証結果を支持する私たちは、「何でもない」「価値がない」「どうでもよい」者です。言い換えると、社長らは「祭壇の上の供え物」、つまり取締役会などを大切にし、世論や私たちは「祭壇」、つまり第三者委員会を大切にしたわけです。
 ゆえに九電の社長を含む「偉いさんたち」は、「人一倍ひどい罰を受けます」(同23:14)。イエス・キリストがそう言われたのです!