ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

富む者と貧しい者とは互いに出会う

 2011年10月1日、金融界を象徴するニューヨークのウオール街で、「ウオール街を占拠せよ」の旗印のもと、失業や格差の是正を求める若者たちのグループが、マンハッタン島とブルックリン地区を結ぶブルックリン橋の車道でデモ行進し、数百人が逮捕された記事は、翌日の新聞等を通じて瞬く間に世界中に伝わりました。伝えられるところによりますと、怒れる若者たちは暴力的行為を行なわず、整然としたデモ行進を続けていたそうで、いろいろ理由はあるでしょうが、当局側にははなはだ不利な状況となり、その日以後2週間にも及ぶ抗議行動は衰えを見せていません。画像はhttp://blog.goo.ne.jp/junskyからお借りしました。

 彼ら貧しい者が具体的に何を要求しているのか、また富む者がこの抗議行動をどう見ているのかについて、米国の様々なウエブサイトで多く書かれており、とても読み切れる状態ではありません。
 そのような中、10月10日のワシントンタイムズは、「茶会運動家たちは占拠者たちとの比較を嘲笑している」といった題で報道をしていました。両者とも草の根運動という点で共通性はありますが、裕福な人々は自分たちの事を占拠派になぞらえるのは笑止千万というわけです。茶会運動家たちは、「我々は自由市場資本主義に基づいて建てられた国なのに、こうした輩はそれにひどく怒っている」、「彼らはもっと多くの政府を望んでいる、つまりそれは社会主義であり、共産主義なのだ」、「他人の経済的成功に怒るのは反アメリカ人だ」、「お前らが豊かでないのは、豊かになる為にすべき事もしていないからだ」などと一蹴し、貧しい者に歩み寄ろうとはしません。
 ところがここに来て、声無き貧しい者たちへの同情を寄せる富む人々も現れて来ました。ハフポストサイトは12日、米国銀行のシティグループ最高経営責任者(CEO)ビクラム・パンディット氏が、「彼らの気持ちは全くよく理解出来る」と言った事を報じていました。そういえばかの大投資家にして慈善事業家のジョージ・ソロス氏、世界最大手の債券運用会社を経営するビル・グロス氏らも、抗議者たちに同情するようになりました。
 聖書には「富む者と貧しい者とは互いに出会う。これらすべてを造られたのは主である」(箴言22:2)というみことばがあります。
 このうち前半は富む者と貧しい者が互いに協力し合って事業を成してゆくという点で、良く分かります。しかし後半です。主なる神は人を最初から富む人と貧しい人に分けて造られたのでしょうか?違います。「神は人を正しい者に造られたが、人は多くの理屈を捜し求めたのだ」(伝道者の書7:29)とある通りで、罪を犯して堕落した人々は、互いに勝手な作り事や計略を追求したのです。ですから上記で「造る」とある言葉は、本来「創造する」という言葉と異なります。アーサーというヘブル語はいろいろな意味がありますが、計略なら「適えてあげる」といった感じでしょうか。神である主は、富む者と貧しい者との格差を作り出そうとする罪人たちの願望を適えてあげられる方であるという意味です。汝ら勝手にせいという事でしょう。ただしいつかその状態は一掃され、完全に自由で平等な民がご自身の周りで礼拝する神の国がやって来る、その時は「茶会運動」で貧しい人を顧みなかった者は、永遠の刑罰に入るという事です。