ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

山岡俊介著『福島第一原発潜入記』を読んで

 上記の本を図書館で借りて読みました、福島原発事故から約3ヶ月後、著者はもう一人の同行者と共に高い放射能数値を示している原発事故現場に潜入し、その様子をなまなましく私たちに伝えてくれました。あとがきでも述べているように、燃料としてプルトニウムを使用している3号機の僅か50メートル手前まで潜入し、表紙にあるような写真を撮影してもらったジャーナリストは彼だけです。
 その潜入と帰還の記事が前半を占め、後半は専らそこで働く作業員の方々へのインタヴューや座談会が主体となっています。
 貴重な体験記となっていて、はらはらどきどきの連続でした。よくぞここまでという思いがしました。なぜそうなのかと言いますと、これは原発敷地への不法侵入であり、読む私たちも山岡さんと同じく「共犯者」であるからです。
 そしてこのミスがあった原発側では、現在厳重な警戒が敷かれているはずであり、そこからの最新情報が外部から得られる事は皆無の状況となっています。ごく最近起こった原発2号機の臨界についても、東電側の情報に振り回されている状態です。(この下書きを書いていた11月13日時点では、初めて東電側が11日報道陣に下記のJヴィレッジを公開し、次いで翌日原子炉建屋も公開しています。それゆえ山岡さんは「先駆者」です)。
 福島原発原子炉建屋まで侵入する為には、まずいわき市北北東約20キロの所に存在するJヴィレッジまで車で行かなければなりません。そこに近づくと警察の厳重な検問所があって、それから先の道へ侵入するのは不可能です。山岡さんらはあわてて引き返し、別の道から紆余曲折して何とかそこに到着する事が出来ました。しかも臨時駐車場で案内人に怪しまれる事はありませんでした。しかしJヴィレッジ内部のセンターハウスに近づく為には、狭い階段を上って行く他ありません。幸いにもここでは検問体制が敷かれておらず、2人は無事センターハウス正面玄関に着く事が出来ました。そこに防護服などの作業着が置かれ、その背後にそれらを渡す担当者がいました。でもその人も2人の不法侵入者に不信感を持つ事なく、作業着を渡しました。そうしてから初めて原発行きのバスに乗り込むわけですが、その入り口で必ず名前と会社名がチェックされます。又しても幸運な事に係員はさして疑う様子もなく、2人をバスに乗せました。遂に第一関門突破といったところです。
 バスは無事原発正面ゲートに到着、何事もなく作業員などが待機する免震棟へ向かいました。その出入り口にあるのがユニットハウスと呼ばれ、そこの入り口で被曝チェックを受けるのですが、そこに係員が居て、ひとり入る毎にドアの開閉をしています。でも係員のチェックは極めて甘く、山岡さんのデジカメは手荷物検査でもひっかかりませんでした。だからテロリストが何か爆弾を密かに持ち込んでも気付かれないだろうと言っています。そして免震棟に入ると、全身防護装備を着用し、隣の出口から出て目当ての原子炉建屋に徒歩で向かいます。別に先導係がいるわけではなく、主要道路を1キロ以上歩くと、道は3つに分かれます。2人は海側に向かう斜め横の道を選んで進み、丘陵先端まで達しました。すると突然視界が開け、目の前に残骸を曝す3号機が現れたのでした。そこまでの直線距離約50メートルほど、遂に侵入は無事成功しました!
 再び免震棟に戻り、バスでJヴィレッジに向かうまでほぼ?順調、かくて2人は車で遁走する事が出来たのでした。但し被ばく線量は一切知らされずに。
 これを読み終えて感じたのは、原発への接近が極めて厳重な監視体制の為、不法侵入者にとってえらく「狭い門」からになると思っていたのが、意外にも「広い門だった事です。そしてその中を通る作業員は年間1ミリシーベルトどころか、教えてくれないほどの被ばく線量を受け、もし長期滞在があったとしたら、確実に死に向かうという事です。そこで思い出すのが、聖書の有名な聖句です。
 「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです」(マタイ7:13)。
 原発への門は確かに「広く」「滅びに至」ります。しかしここで救い主は霊魂の事を言っておられます。つまり霊魂の救いの門という事です。それは狭く、キリストの厳重なチェックを受け、絶対に不法侵入は出来ません。でもそれを望む誰にでも解放されています。その意味では狭くて広い門です。