ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

スティーブ・ジョブズと信仰の問題

 2011年10月29日の創造論サイトAiGの「注目すべきニュース」では、最近すい臓がんで亡くなったアップルのスティーブ・ジョブズの信仰はどうだったのかという問題に迫っています。前回そこの従業員問題で、彼の光と影の部分のうちの影に触れました。今回は彼の信仰はどうして育まれなかったのかという問題を、AiGサイトから考えて見ます。「評伝はスティーブ・ジョブズの生涯をを異なる観点から見直している」といった題です。実際評伝を読んでいないので、そうした訳が適当なのかはよく分かりません。
 彼は10月5日にすい臓がんにて56歳で亡くなりました。それに先立つ2005年に「自分は間もなく死ぬ」という事を含めたスピーチをしていました。
 既に17歳で「今日が最後という気持ちで、毎日を生きる事にした」と言っていたそうです。ですから彼は若くして死の問題は真剣に考えて過ごして来たのでしょう。しかしです。信仰問題となると話は別です。
 彼が13歳になった時、通っていた教会では必要としていた問題に答えられなかったそうです。その為にキリスト教から去る事を決断しました。
 ウォルター・アイザックソンによる評伝では、彼の両親はあまり信仰に熱心ではなかったそうですが、とにかく息子だけは敬虔に育てなければという事で、プロテスタントルーテル教会に連れて行きました。しかし13歳という歳では、キリスト教教義についていろいろな疑問が多く出て来るものです。1967年ナイジェリアでビアフラ戦争が生じた時、大量の餓死者が出ました。タイム誌に飢えた子どもたちの衝撃的写真が載り、それをスティーブは教会に携えて行き、牧師に対して「神はこれについて承知しているのですか。この子どもたちにはこれからどんな事が起こるのですか」と質問しました。しかし牧師は「スティーブ、君には分からないだろうが、その通りだ。神はこれについて承知しておられるのだ」といった答えをしたそうです。そこで彼はそんな神など礼拝したくないと思い、二度と教会に足を運ばなかったそうです。
 この災害問題は非常に難しく、愛である神がどうしてそんな事を?という疑問が湧いて来るのは、今度の東日本大震災でも同じでした。
 スティーブの牧師はそうした問題に対する十分な答えを用意していなかった為、彼はつまずいてしまったようです。
 この正しい答えについては、まさにAiGサイトが得意としているところです(例えばhttp://www.answersingenesis.org/assets/pdf/radio/death-and-suffering.pdf)。これは分かりやすい英文でお勧めです。
 とにかく創世記のはじめを見れば、神は万物を創造し、それらが全て良かったと述べておられます。その時点で災い、苦難、死もありませんでした。ところが人間はこの神のご命令に従わず、罪を犯して堕落した為に、世界にそれらが入って来たのです。神は愛であって変わりありませんが、人間の側にそうした災いの責任が生じたのです。ですから神の側では一貫して「わたしは、だれが死ぬのも喜ばない」(エゼキエル18:32)と言っておられます。そしてその罪の解決の為に、救い主イエス・キリストを遣わされました。「自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです」(ペテロ第一2:24)。そのように神は常に「悔い改めて生きよ!」(上記エゼキエル箇所)と、私たちに呼びかけておられます。
 AiGニュース編者は、もしスティーブがそれらの事について正しい導きを得ていれば、全く違った決断をしていただろうと残念に思っています。