ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

ミャンマーの女性活動家アウン・サン・スーチーさん

 1991年にノーベル平和賞を受賞したミャンマーの女性で、非暴力民主化運動の指導者アウン・サン・スーチーさんが政党参加し、発言力が増しそうなニュースが、10月30日の朝日新聞に載っていました。次いで11月11日にも関連する記事がありました。

 ミャンマーでは1962年から1988年までネ・ウィン大統領による軍事独裁体制が敷かれ、その後も引き続き軍部のクーデターでそれが維持されて来ました。国民民主同盟を立ち上げたアウン・サン・スーチーさんは迫害を受け、1989年に自宅軟禁されました。彼女の発言は実質封じられ、軟禁・解放の繰り返し期間はおよそ20年も続きました。2010年11月彼女は正式に解放されました。翌年3月3月の「民政移管」と共に「政権登録法改正案」が可決され、彼女は政党加入が出来るようになった次第です。
 しかし民政移管と言っても、軍政時代首相だったテイン・セイン現大統領は非常事態で国軍司令官が国政の全権を握れる憲法条項を残しており、いつまた軍政が復帰しないとも限りません。その点で市民たちの警戒心は強そうです。ですからスーチーさんの発言が先鋭化すればするほど、再び拘束される可能性はあります。勿論国連や民主主義国の人々が黙っているわけもありませんが。「もしこの人たちが黙れば、石が叫びます」(ルカ19:40)。
 こうした長期にわたる軟禁拘束という異常事態は、彼女だけの事ではありません。既に旧約聖書でそんな人物が登場しています。それは預言者エレミヤです。
彼はエレミヤ書の書き手であり、南ユダ王国の衰退と陥落の頃活動していました。即ち紀元前627年頃から586年(バビロン帝国による崩壊)頃までのおよそ40年、神からのみことばを伝えていました。
 彼はエホヤキム王(紀元前608年〜597年)の4年目(604年)、神に命じられてそれまでのおよそ20年間にわたる預言を書き記しました。そしてそれは神を畏敬しない王に提示されましたが、王は焚書処分にし初めてエレミヤを捕らえるよう命じました。彼は主の守りで身を隠す事が出来ました。
 次のエホヤキン王が僅か3ヶ月でバビロン捕囚にあってから、ゼデキヤ王が即位すると(紀元前597年〜586年頃)、遂に逮捕され地下牢に入れられ、長くそこにいました。しかし軟弱な王は神を恐れ、エレミヤを牢から引き上げ「監視の庭」に入れて幾分かの自由を与えました。怒りの収まらないつかさたちは、執拗に彼のいのちを狙い、監視の庭から直ぐ側にある泥の穴に投げ込みました。彼は今や危機的状態です。でも彼のいのちを救ったのは、又してもゼデキヤ王でした。王は穴から彼を救出し、再び監視の庭に据えて糧も与え、王がバビロン捕囚に会うまでそこに幽閉されていました。およそ10年ほどエレミヤは不自由な生活を強いられたわけです。
 彼を解放したのは敵国バビロンのネブカデネザル王でした。エレミヤはそれまでゼデキヤ王らに、「バビロンの王の首長たちに降伏すれば、あなたのいのちは助かり、この町(*エルサレム)も火で焼かれず、あなたも、あなたの家族も生きのびる」(エレミヤ38:17)と、再三にわたり預言していたからです。
 しかし彼は自由になったのも束の間、ユダの残りの者たちによりエジプトへ連行されました。でも彼はそこで臆する事なく、主のみことばを語り続けました。その後エレミヤの消息は断たれましたが、伝説によるとエジプトのユダヤ人らが彼を石打ちの刑で殺害したそうです。
 スー・チーさんは今後どうなるでしょうか?