ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

斉藤貴男著『強いられる死 自殺者三万人超の実相』を読んで

 図書館で上記の本を借りて読みました。自殺志願者を救うという事も私の大事な関心事の一つだからです。
 自殺者数が毎年3万人を越えていますが、それは1998年に始まりました。それも一挙に8,742人の増加となってです。それは何故か?
 斉藤さんは「実相」の事に詳しく触れていますが、特にその背景について章を改めて考察しているわけではありません。しかし文中のいたるところにそれを見てとる事が出来ます。
 2001年に発足した小泉内閣では、民間から経済学者の竹中平蔵が経済財政政策担当大臣に抜擢され、一般にこの2人のコンビで構造改革が本格的に始動しました。しかしその年は自殺者増3万人超から3年後になります。従ってその背景についてはさらに遡って考えてみなければなりません。
 およそ1986年12月から1991年2月までの約4年間続いたバブル経済が崩壊した後、日本は長い不況の時代に入ります。その弱体化した日本につけ入ったのが、米国を主体とする新自由主義経済でしょう(ナオミ・クラインの言うショック・ドクトリン)。小島明氏が自己のホームページで語っているように、「1991年はまさに世界経済が停滞から大発展に転換する歴史的な大分水嶺の年」となった事を銘記する必要があります。
 では新自由主義とは何か?ウイキペディアによると、「市場原理主義の経済思想に基づき、低福祉、低負担、自己責任を基本として小さな政府を推進する。経済政策については、均衡財政、福祉・公共サービスなどの縮小、公営事業の民営化、経済の対外開放、規制緩和による競争促進、労働者保護廃止などを基本とする…」とあります。ここにある低福祉、競争推進、労働者保護廃止といった言葉に注目すると、1998年の自殺増に繋がって来るでしょう。その時「グローバル競争に打ち勝とうとする企業たちが人を選別し、可能な限り低コストで人材を使おうとする」(浜矩子著『グローバル恐慌』より)状況が強力に生まれます。そうした情け容赦もない市場原理の下で、労働者が過酷な労働を強いられ、自殺へと向かって行きます。市場原理は「郵政民営化」のみならず、中小企業から学校や自衛隊、障害者福祉などあらゆる分野に浸透して行きます。斉藤氏はそうした各分野ごとに、強いられた自殺者たちの事をルポしています。
 その全てにほぼ共通するのは、いわゆるパワーハラスメントで、どの職場でも上に立つ者たちが、下にいる者たちを「人間」として扱わず、「バカ」「マヌケ」「出荷できないイチゴ」「汚い」「死ね」「穀潰し」「乞食になれ」などといった罵詈雑言を執拗に浴びせ、うつ状態に追い込む事例です。
 それが結果的に自殺に繋がるわけですが、そうした権威を笠に着る人々は、良心の痛みも感じません。なぜなら「労働者を自殺に追い込んでも罪にならないのが日本で、だから罷り通っている」実態があるからです。パワハラと自殺との因果関係がなかなか把握出来ないのです。
 しかし聖書では何と言っていますか。
 「昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます」(マタイ5:21−22)。
 ここで「ゲヘナ」とあるのは、聖書では永遠の刑罰の場所です。その中間状態(死者の霊魂の一時的留め置きの場)が旧約の「シェオール」新約の「ハデス」です。いかに救い主イエスが人を人として扱わない者の刑罰を重く見られたかが分かる箇所です。実際自殺に手を貸さなくても、上記の罵詈雑言を浴びせ、死ぬまで悔い改めなかった人々が対象です。