ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

抗加齢の動きに抗う生物学者本川達雄教授

 11月19日の朝日新聞ではアンチエイジングという題のもとで、3人の方が登場しています。その中でそれに抗う生物学者東工大教授の本川達雄氏が、命が延びた分不安が延びただけと述べた上で、親が生きながらえて次世代を圧迫するのはまずいと率直に語っています。
 氏はベストセラーとなった「ゾウの時間とネズミの時間」以後いろいろ考え方を発展させているのではないかと思い、図書館で『「長生き」が地球を滅ぼす』と、『おまけの人生』の2冊を借りて読みました。どちらも2006年発行のもので、朝日の記者はそれらを読んで、新聞に登場してもらったのでしょう。どちらも上記ベストセラーを踏まえています。氏はまた歌う生物学者としても有名で、両著に面白い歌詞と楽譜が挿入されています。
 氏によると今私たちが生きている時間は、永遠の神が創世記で時間を導入して以来、一直線に一定の速度で流れて行き、終末に至ります。その神の時間を頭に入れ、横軸上に時間を据えて定式化したのがキリスト者であるニュートンであって、それをニュートン力学古典物理学)と言います。そして誰もがこの時間しかないと思っているので、そこに「ニュートン教」という信仰が生まれ、ゾウにはゾウの時間があり、ネズミにはネズミの時間があるという事実に思いを馳せないでいると氏は鋭く批判しています。確かにその通りで、ゾウにとっては流れる時間は大変緩やかであり、ネズミにとっては大変速いものです。
 寿命を考えてみた時、時間はすべて体重の4分の1乗に比例するそうですから、小さなネズミは時間が速くシャカシャカやって直ぐに死にますが、大きなゾウですと、ゆっくりであって長生きします。この時間を2つ組み合わせ割り算をすると、体重によらない一定値になるそうで、一生に心臓が打つ回数に適用すれば、ゾウもネズミも人間も皆同じで、「心臓時計」では約15億回だそうです。一方エネルギー消費量を考えてみた時は、体重の4分の1乗に反比例して減って行くそうです。身体の大きなゾウは、その割りににはエネルギーを消費せず、小さなネズミは糧をたくさん食べてエネルギーを消費します。これまた時間とエネルギー消費量を掛け算すると、体重の項が消えて一定値となり、心臓が1回打つ時のエネルギー消費量(=2ジュール)は、ゾウもネズミも人間も皆同じで、ネズミはそれを0.1秒で使い切り、ゾウは3秒かかって使う事になるそうです。故に心臓は一生に15億回打つので、エネルギー消費で言えば15億×2=30億ジュールとなります。結局一生の間に費やすエネルギーは皆同じで、ゾウはそれを70年かけて消費し、ネズミは2年位で使ってしまいます。では人間はどうかと言いますと、15億回打った時点の年齢はおよそ40歳今の寿命の半分で、長い人類の歴史ではだいたいそれ位だった事になります。ですから40代から老いの兆候が現れ始め、50歳以降の老いの時間は本来存在しない事になります(次世代を産む能力が無くなると限界で、それまでが本来の部分)。それが80歳まで延びたとすれば、原因は医療や科学技術が人為的に生み出したいのちなのです。だから親が生き長らえて次世代を圧迫するのはまずい、適当なところですっと消え、子どもに譲るという考え方が、生物学的には真っ当だと氏は強く主張しています。それで氏は抗加齢の動きに抗っているわけです。
 科学技術や医療は、莫大なエネルギーを使用する事により成り立っていて、その利用で長寿社会が可能となったわけですから、私たちはエネルギーという代価を支払って寿命と言う時間を買い取っている事になります。それはもはや自然のままの動物の寿命とは異なり人工的なものとなるので、当然長生きでは身体ががたがたになりますから、がたがた人生という悲劇も生じます。年をとってピンピンしているほうが異常なのです。いのちが延びた分不安も延びたというのは、正当な見方です。速くなった時間に身体がついて行けなくなるので、私たちはますます不幸になります。
 ところでそのエネルギーですが、これは石油や石炭を見れば無尽蔵ではありませんし、鉱山からウランを採掘する原子力も例外ではありません。そんな状況なのに、日本人はエネルギーを浪費し、未練がましくいのちを延ばそうとしています。潔さに欠けます。これは子孫に大きな負の遺産として手渡されるわけですから(特に核廃棄物は世代を越えて後世の重荷となる)、子孫にとってはたまったものではありません。そこで親と子らの間には全く異なる倫理観が必要となってきます。
 また科学はこうしたエネルギー問題や環境問題を今後早急に解決出来るわけではありません。それなのにそう思わせるところに科学の罪が残るわけです。原子力の安全・輝かしい未来というスローガンは最早破綻しました。
 ですから長寿老人はゆったりしたゾウ的時間の中で人生を新たにデザインしなければならず、しかも肉体を駆使して働かなければならないのです。しかしその中にこそ老人としての幸せが出て来ます。最後に聖書箇所を一つ。
 「むしろ、あなたがたはこう言うべきです。『主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう』」(ヤコブ4:15)。