ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

福島二本松サンフィールド二本松ゴルフ倶楽部の民事訴訟の却下

 朝日新聞では「プロメテウスの罠」という題で、長らく記事を連載しており、その最初の「観測中止令」の部分はおおかたスクラップしておいたのですが、その次の「無生物の責任」はうっかり切抜きをせず残念な思いでいます。12月6日現在でもその記事は続いています。
 それで他のサイトも探してみたのですが、上記二本松ゴルフ倶楽部訴訟に関わる箇所を全文引用した方は、朝日が著作権をたてに削除を求めたそうで、要旨だけしか載せていません。
 そこでそうした要旨から自分なりに整理してみますと、このゴルフ場では高い放射能が検出されたので、東京電力に汚染の除去を求めて仮処分を東京地裁に申し立てました。ところが10月31日東京地裁はその訴えを却下しました。その理由はおおむね除染は国や自治体がすべきであり、実際の汚染も低い値の為にゴルフ場の営業再開は可能だというものでした。その是非は今問いませんが、問題は東電が提出した屁理屈です。
 その主要な主張は朝日ウイークリーアエラの英文から粗訳してみますと、「東電はその放射性物質を『所有していない』ので、汚染に対して責任がない」と言うものでした。他のサイトから引用してみますと、「東京電力福島第一原発から飛散し、落下した放射性物質セシウムなど)は東京電力ではなく、土地所有者のものである」という事になるようです。東電に言わせると、その放射性物質はもともと無主物であったと考えるのが実態に即しているという事なのだそうです。無生物とはとどのつまり誰の所有でもないという事で、既にゴルフ場の土地に付着してしまっているので、東電は無関係で除去する義務などないという言い分です。
 この地裁判決については当然法律家を始め、訴訟団の人々を唖然とさせましたが、上告するのかどうかの情報は手元にありません。東電側はこの判決について回答出来ないと、一切の取材を拒否しているそうです。
 別のサイトのコメントには「こういう言葉やロジックに触れると、怒りや憎しみというよりも心が痩せていく感覚を覚えます。人間の知性というものは、果たしてこういう論理を立てるためにあるのだろうかという暗澹とした心持になる」というのがありました。
 しかし私は既に槌田劭氏の思想に共鳴して書いたブログでも少し触れましたが、人間はエデンの園で罪を犯してから、その原罪を負って自らの知識や知恵で世の中を渡って行かねばならず、その根元が罪で腐っているので、当然にもその知性が道を逸れると腐敗堕落するという意味の事を述べました。
 「彼らはみな、離れて行き、だれもかれも腐り果てている。善を行なう者はいない。ひとりもいない」(詩14:3)。
 これは人間の血の通っていない形式論理だけの裁判官にも当て嵌まるのは、言うまでもありません。
 この堕落した知性により生み出された反人間的原子工学という「科学」は、神が世界を創造された時存在しなかったプルトニウムを生み出しました。最初の人に委ねられた世界の被造物管理では、戦争目的のウラン鉱採掘など神は想定しておられなかったでしょう。責任はその正しい管理を放棄し、神から離れた罪深い人間の側にあるのです。ですからそのウランやプルトニウムを外部から原子炉に入れ、それを燃やす事により生じた廃棄物が世を汚す事になったのは、けだし当然です。儲け主義だけで神を畏敬しない罪深い科学者たち(パリサイ人や律法学者たちも含まれます)を、イエスは厳しく批判されました。
 救い主イエスが、「外側から人にはいって、人を汚すことのできる物は何もありません」(マルコ7:15)と言われた時、人のうちに入る糧のきよさを宣言したものでしたが、それを原発にも当て嵌める事が可能です。つまり風力や地熱を取り込んで、施設からエネルギーを取り出すというのは、被造物利用の際正しいのですが、こと放射性物質となれば、それは主のみこころではなく、当然にも外に出して人々や農作物等々を汚染する事になったわけです。
 それに対する東電の言い訳は神の御前では一切通用しません。
 「彼らは、生きている人々をも死んだ人々をも、すぐにもさばこうとしている方に対し、申し開きをしなければなりません」(ペテロ第一4:5)。
 かくて多くの人々を汚した東電関係者らは悔い改めない限り、永遠の火の池で限りなく余計に苦しむ事になるでしょう。