ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

槌田敦氏=もう一人の古くからの原発反対論者

 槌田敦氏が劭氏のお兄様である事はiireiさん(http://d.hatena.ne.jp/iirei/)からお聞きして、2冊ほど図書館で借りて読みました。
 驚くべき事に敦氏も、1970年代から反原発を訴えていて、その中身は今なお新鮮で本質を捉えています。
 特に敦氏は得意の熱力学第二法則から見据えています。それは主として物理学で用いられ、エントロピーという言葉が登場します。理解の為かなり高度な微積分の知識が必要です。乱雑さの度合いとか言っていますが、『原子力に未来は無かった』という著書で槌田氏は、簡単に「汚れの程度」と説明しています。放っておくと汚染がどんどん進むという程度の事です。腐食もそうです。家庭内の事を考えると、まめに掃除や整頓をしないでいる場合、埃が溜まりモノが確実に汚れて来ます。台所製品(鉄鍋など)も磨いていなければ、すぐ腐食が始まります。槌田氏は「物質資源」(例えばプラスチック)であろうと「エネルギー資源」(例えば石油や核燃料)であろうと、使えば無くなるのではなく、必ず廃物・廃熱になるという例を引き出しています。地球はどんどん汚れて行きます。
 またそのエントロピーを考えた時、必ず登場するのが閉鎖系・開放系という言葉です。前者は「エネルギー交換や物質交換がその系の内部で完結し外界と全くない系」、後者は「外界とエネルギーまたは物質を交換する系」とあります。槌田氏は地球という系を考えた時、それを閉鎖系とみなせばエントロピーが増加するだけで、社会秩序維持が次第に困難となり、行き着く先は「終末があるだけである」と明確に言い切っています。それは石油文明以後顕著になって行きます。
 ではその文明以前(石炭以前)はどうか。土から得たものは土に返せたわけで、石炭の時代でも廃物は曲りなりに土に返せました。ですから石油時代から人間は土に返せないものを作り出し、核燃料に至っては廃物はもはや絶対に土に返せなくなったので(最終処分場で地下深く埋めても絶対土と混合させられません!)、そうしたものを考え出した科学者たちは最早「馬鹿」を越えて「正邪の判断が出来なくなってしまった人達」であると、槌田氏は口を極めて非難しています。そのつけは100万年後の子孫にまで及び、しかも無益なしかし厳密な管理を続けなければなりません。その意味で槌田氏はむしろ地下でなく、地上の建屋での管理のほうがまだましだと言っています。
 しかしです。水と土と生物のサイクルという事を考えると、地球は長い間エントロピーがほぼ一定に保たれていて(そうなる巧妙な機構が存在していた)、槌田氏はそれを物理学では定常開放系と言っています(江戸時代はかなり理想的でした)。それゆえ地球をこれ以上汚さない為には、この水サイクルに「エントロピーをうまく乗せ」られるかどうかにかかって来ます。今後そうした技術が開発されるのでしょうか。幾ら江戸に憧れても、そこまで私たちは戻れませんから。
 最後に原子力平和利用の欺瞞と犯罪性を槌田氏がクアドラップル(=四部)に纏めたものを付記しておきます。1廃棄できない毒物を製造する行為、2毒物を取り扱い困難にする行為、3人間集団の遺伝情報を狂わせる行為、4子孫に毒物管理を強制する行為です。
 では聖書ではどう言っているでしょうか。天地創造の最後に全てが完結したという点では、地球を含む宇宙全体が閉じた系と言えますが、人間が堕落する以前はすべてうまく事が運んでいたので開放された系でもあったと言えるでしょう。
 問題は人間が堕落した後です。その時から地球を含む宇宙など被造物の全体が「苦しむ」結果となりました。ローマ8:21にある如く「被造物自体も、滅びの束縛」に陥りました。宇宙全体が閉鎖系だけとなり、エントロピーが増加し、全てが汚染され腐敗堕落して滅び、やがて終末に至ります。このエントロピー増加の法則は旧新約聖書の至るところに出て来ます。
 ヘブル1:10「主よ。あなたは、初めに、地の基を据えられました。天もあなたの御手のわざです。これらのものは滅びます…すべてのものは着物のように古びます」。
 イザヤ51:6「目を天に上げよ。また下の地を見よ。天は煙のように散りうせ、地も衣のように古びて、その上に住む者は、ぶよのように死ぬ」。
 しかしこの2つの聖書箇所を見ても、神だけは永遠に生き永らえられる事が分かります。そして後者の箇所の最後に「しかし、わたしの救いはとこしえに続き、わたしの義はくじけないからだ」と明確に記されています。この方により全ての被造物が滅びの束縛から「開放され」ると上記ローマ8:21に宣言されています。
 私はこの原子力平和利用というごまかしの時代、核戦争が起ころうと、核廃物が地球を覆おうとも、そこに神が介入され、救われて新しい天、新しい地のもとで世々限りなく生きる「残された人々」が居る事を信じます。