ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

離散する東北の被災者たちの今後

 2011年12月29日の朝日新聞では、大震災を受けた人々のうち、特に福島原発により県外に避難した人の数が6万人を超えた事を報じていました。彼らの中には原発周辺の状況次第で戻って来る人々もいるでしょうが、事故の深刻さに鑑みて故郷を捨てて各県に移り住む人々もいるでしょう。避難者の行き先では山形県が一番多く、13,000人ほど、次いで東京都の7,500ほどとなっています。
 朝日のルポでは東京都江東区の国家公務員宿舎・東雲高層住宅での避難民の日常生活が紹介されていました。また別の紙面では宮城県石巻市津波災害に会い、故郷が破壊され、20キロ以上内陸部に移り住んだ家族の事を報じていました。左の画像は約千人が仮寓する東雲マンション。

 生まれた時から慣れ親しんでいた故郷の喪失というのは、避難している方々には大変な問題です。そこでの人々の紐帯が断ち切られ、或る人は全く孤独のまま、また或る人々は少数で固まって「異教の地」に離散せざるを得ない状況です。しかもその「異教の地」の人々の「差別感」を持った厳しい目線にも晒されるという苦痛が伴います。
 私のような都会人も神奈川の拠点から茨城の鉾田に移り住んだ時、全くよそ者という形で地元の人々には受け入れられませんでした。今住んでいる千葉の都会では、東京出身の人も多く、そういう事はありません。
 実はそうした状況、統一王国が分裂した後のイスラエルでも生じました。北イスラエルアッシリア帝国の侵略により、南ユダ王国ではバビロン帝国の侵略により、民は故郷を追われました。そのイスラエル(=ユダヤ人)が故郷パレスチナを離れ、他国へと散らされた事を、ギリシャ語でディアスポラ(=離散)と言います。
 彼らが大震災で離散した人々と違うところは、ユダヤ人としての同一性(アイデンティティ)です。彼らは散らされた国々で旧約聖書への信仰を守り、独自のユダヤ人共同体を形成しました。自分たちで建てた会堂を拠点にその宗教を遵守し、子孫にそれを伝えて来ました。彼らは中世ではキリスト教(主としてローマカトリック)からの迫害を、そして20世紀の世界大戦ではナチスドイツからのひどい迫害を受けて来ました。
 その一人ポーランドに住み、ナチス迫害でパレスチナに戻ってきたダヴィド・ベン=グリオンは、シオニストたち(*離散したユダヤ人がパレスチナ、特にエルサレムの丘の地名シオン=ダビデの町に戻り、故郷を再建しようという運動がシオニズムです。その運動家をシオニストと呼びます)を結集して、1948年にイスラエル国家を再建しました。下図はベン=グリオンです。

 「まことに神がシオンを救い、ユダの町々を建てられる。こうして彼らはそこに住み、そこを自分たちの所有とする」(詩69:35)。 
 家系を重んじ、ユダヤ教を信奉するユダヤ人にしてそれが可能だったわけですが、翻って福島ではどうでしょうか。原発でひどく汚染された地域ではおそらく故郷再建は不可能でしょう。大震災被災者の救いと幸いを願うばかりです。