ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

テルアビブの水道汚染

 2012年1月18日、イスラエルの代表的なハー・アーレツ誌に、「研究により、ほとんどのテルアビブ地域では井戸の汚染がひどくて、飲料水を引いて来る事が出来ない事が分かった」といった題の記事がありました。
 テルアビブ地域はウイキペディアの情報では「イスラエルの経済・文化の中心地かつ中東有数の世界都市」となっていて、勿論イスラエル最大の都市です。

 私はこの記事を調べるまでは、イスラエルの首都はエルサレムとばかり思っていたのですが、国際的には認められておらず、このテルアビブが事実上の首都になっています。左の画像はhttp://elalfanclub.blog58.fc2.com/blog-date-201011.htmlからお借りしました。
 ここが日本でも注目されるようになったのは、1972年に起きた日本赤軍派3人によるロッド国際空港乱射事件からでしょう。このうち2人が射殺され、岡本公三だけが生き残り、拘束されたものの精神疾患で、現在レバノンにて静養中との事です。
 テルアビブをヘブル語で分解しますと、テル=丘、アヴィーヴ=穀物、又は穀物の青い穂という意味になります。それは又有名な過越の祭りが行われた3月頃に相当し、イスラエルはアヴィーヴをユダヤ暦の第1月(正月)と定めています。それ故テルアビブは春の丘(砂丘)とも呼ばれています。
 ところがこのテルアビブですが、初出は旧約のエゼキエル3:15にあります。
 「そこで、私はテル・アビブの捕囚の民のところへ行った。彼らはケバル川のほとりに住んでいたので、私は彼らが住んでいるその所で、七日間、ぼう然として、彼らの中にとどまっていた」。
 このケバル川ですが、イスラエルの南ユダ王国が滅び、バビロン捕囚に会った時、その地を流れるユーフラテス川の水を引いた運河だったようです。それはよく洪水で氾濫しました。そこでバビロンのアッカド語ではテルは丘で共通しているものの、アビブは「洪水」という意味だったようです。ですからエゼキエル書テル・アビブは、イスラエルの現在のテルアビブと異なり、バビロン帝国の領土内にあったわけです。それがどうして廃れ、現在のイスラエルの地名となったのかと言いますと、ユダヤ人の作家テロドール・ヘルツル(失われた祖国イスラエルを取り戻すシオニズム運動を起こした一人。その思想が受け継がれ、1948年の建国となりました)の小説の中にその春の丘が出て来て、それを現在地中海沿岸の砂丘上に作った町の名前としたのだそうです。
 それがイスラエルのどの辺りに相当するかは、このテルアビブから分かります。つまりそこは1950年、その南部のヤーファー市と合併し、正式にはテルアビブ・ヤッフォ市となるわけです。そのヤッフォは、旧約のヨシュア19:46では邦訳「ヤフォ」となっているものの、使徒9:36では邦訳「ヨッパ」となっています。このヨッパから場所がエルサレムの北西およそ56キロの所に位置する事が分かりました。
 そこでハー・アーレツ誌の記事に戻りますが、この国際都市テルアビブ・ヤッフォには1980年までに166個の井戸がありましたが、2011年末には96個が作動していません。それは武器の製造(ロケット燃料の成分過塩素酸塩)、化学肥料(高濃度の硝酸塩)、殺虫剤といった工業製品による汚染の為です。これは都市にとって危機的な状況に近いです。復興に20年以上、しかも莫大な費用がかかります。
 これからテルアビブ・ヤッフォ市を旅する予定の方は、飲料水の事を頭に入れておかなければならないでしょう。
 聖書時代に井戸は多く出て来ますが、そんな汚染はありませんでした。井戸を巡る争いが主体でした。そこで一箇所だけ示しておきます。
 「正しい人が悪者の前に屈服するのは、きたなくされた泉、荒らされた井戸のようだ」(箴言25:26)。
 面白いたとえですね。