ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

採石場の石の放射能汚染と結果としてのマンションコンクリ汚染

 2012年1月16日の朝日新聞には、「汚染コンクリで建築 福島と二本松 マンションから高線量」という見出しで記事が出ていました。
 コンクリートを作るのに砕石が必要なのは当然で、それを砕石場から掘り出して来るわけですが、原発からの放射能が降雨でその山をどれ位汚染したかは良く分かりません。茨城にいた時有名な笠間の稲田御影石砕石場を見学に行った事があり、掘り出した石を砕いて現場付近に山積みしているのを見ました。
 米国でもオーストラリアでもそうですが、露天掘りのウラン鉱山が激しい降雨で、鉱滓などと共に周辺地域を広く汚染しているのは周知の事です。
 そうした事実からしても、山積みの砕石が雨で降下した放射能により汚染されるという事は、だいたい私のような素人にも推測出来ます。
 その汚染原となったのは原発30キロ圏内にある福島県双葉郡浪江町南津島の砕石場から搬出された石だそうです。浪江町(津島も含め)と言えば、原発から北西にあって、特にその北西の飯館村まで放射能高濃度汚染地域になった事は、遅れた情報の為多くの方が被災された事でも有名になりました。

 さてここの砕石場の石の種類は?となると、ネットでもほとんど情報がありません。笠間では花崗岩、その近辺では黒っぽい玄武岩と思われるものを見て来ました。その花崗岩ですが、世界の大陸地殻の大半を占めており、しばしば露出面積が100平方キロメートル以上にも及ぶ巨大な岩体となっています(地質学ではバソリスと言っています)。米国では核廃棄物最終処分場としてこの花崗岩地帯が目標にされています。AP通信からとしてワシントンタイムズ2011年12月18日のサイト(http://p.washingtontimes.com/news/2011/dec/18/hunt-nuclear-waste-site-could-point-granite/)が伝えたところでは、「核(最終廃棄物)保管場所を捜すとなると、花崗岩体が挙げられるだろう」といった題の記事になっていました。その中で「花崗岩は透過性が低く、化学的にも物理学的にも安定した岩石としての性質があるので、たとえ密閉容器から核廃棄物が漏れ出したとしても、放射能が外部環境に届くのを強力に抑える事が出来るだろう」という内容の文章がありました。しかしその管理には最低でも100万年はかかるので、熱力学の第二法則(簡単に言えば、万物は放置しておけば等しく崩壊に向かうという法則で、聖書にもそういう意味の箇所があります=ヘブル1:11等)に照らしても、絶対そうはならないという保障はないのです。それでオバマ政権としては、有力な処分場候補だったネバダ州のユッカ山での建設を棚上げしています。ちなみにこの花崗岩(深成岩に属します)そのものにも自然放射性核種としてウラン238が含まれています。
 何が言いたかったのかとなりますと、原発から降り注いだセシウム137などの放射能を完全に遮蔽出来るような岩石は存在しないし、絶対安全だと言えるようなデータも米国にさえ存在しないので、土壌でも瓦礫でも岩体でも石材でも放射能を防ぐ「聖域」はないはずだという事です。
 そんな事は私が自分で勉強しなくても、所轄官庁ならとっくに情報として把握出来たはずなのに、調べもしなかった為汚染コンクリートを使った新築マンションが二本松などに建設され、マンション住人が被曝を受けてしまいました。私はこの砕石会社の社長の責任は1月16日のJUNSKYブログ(http://blog.goo.ne.jp/junsky/e/56e743087ee1f8f3405691b20c43fd33)ほど厳しく考えていません。官庁と政府にあると断言します。
 とにかく放射能という危険なものを防ぐ聖域が、特に汚染の高かった地域ではゼロだという事が今後の調査で立証されるでしょう。
 聖書ならどうか。実は聖域がたった一つ存在します。そこの岩体は汚染一つなく、そこから人手によらず切り出された聖い石はいつか世の汚染を一掃し、聖なる人々の住む聖なるマンションを構築します(*旧約聖書では人の手により鉄鑿などが当てられた祭壇用の切石は、汚れたものと見做されていました)。
 「一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたのは、大いなる神が、これから後に起こることを王に知らされたのです。その夢は正夢で、その解き明かしも確かです」(ダニエル2:45)。
 この石こそ救い主イエス・キリストの事です。
 「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら」(詩18:2)。
 マンション被災者の方々、今後も大いに不安でしょうが、この岩なる救い主に全てを委ね、心の平安を得られたら幸いです。
 「わざわいの日に、あなたがその人に平安を賜わる」(詩94:13)。