ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

交渉術、交渉学

 交渉術などと言えば、別に企業の営業の人々ばかりでなく、私たち庶民の日常のレベルでも、しょっちゅうやっている事でしょう。例えば八百屋に行って野菜の値引き交渉をするとかです。八百屋さんがここまで値引いてもまだ儲かると思えば満足だし、買った私たちも満足します。
 この交渉術からさらに「学」まで高めて本にしたのが、東大の松浦正浩先生です。米国のMITやハーヴァードで学んで、その面での専門家になられた人です。元は東大工学部土木学科出身だそうです。今度読んだその先生の本の題は『実践!交渉学』。副題は「いかに合意形成を図るか」です。
 そこで出て来るのが、最近良く見かけるWIN/WIN(ウイン・ウイン)交渉や、WIN/LOSE(ウイン・ルーズ)交渉といった複合的な言葉です。前者は「交渉当事者全員にとってメリットがある交渉」を指し、後者は「どちらかが勝って、どちらかが負けることを前提にした交渉」です。さらにお互いが損になるLOSE/LOSE(ルーズ・ルーズ)交渉というのもあります。
 そして先生はまず交渉には様々な罠があると言っていますが、その項で「絶対に譲ることのできない何かがあるため…交渉を始めることがきわめて困難な状況」があると指摘しています。米国で言えば、例えば社会の亀裂を深めている、社会運動が絡んだ「妊娠中絶」「同性愛」などの問題です。
 そこで先生はBATNA(バトナ)という専門語を持ち出しています。これは交渉が決裂したときの対処策として最も良い対策案を意味し、「不調時代替案」とも訳されます。これが交渉学で重視されています。
 そしてこうした交渉によって当事者双方が満足するわけですが、そこには限界があり、X軸Y軸で図解すると双方の満足度が一番高い所で曲線が生じ、その点にある取引条件を、経済学でパレート最適と呼びます。下右図はその一例です。松浦先生のサイトからお借りしました。

 そしてパレート最適により近い合意条件で交渉が成立する範囲がZOPA(ゾーパ=合意可能領域)と呼ばれ、右図で赤く塗られた部分の範囲内にあります。交渉学で目指すのは勿論パレート最適です。
 また大切なのはウイン・ルーズ交渉で決裂した場合に「不調時代替案」が出されて、不可能が可能になり当事者双方が「生産的活動」になる事例も、先生は指摘しています。この本の内容はだいたい上記で要約されていると思います。
 ではこれを聖書に適用するとどうでしょうか?
 人間が罪を犯して神との交わりが絶たれ、エデンの園から追放されて以来、その罪の為に和解が成立しません。これはウイン(=神)/ルーズ(=人間)交渉と見做せるでしょう。それが不可能な状況です。しかし神は罪の為に悲しみ、絶望して死に行く人間を愛し憐れみ、不調時代替案(BATNA=バトナ)を出されました。それが最愛の御子イエス・キリストの地上への派遣でした。
 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ3:16)。 このひとり子が十字架で人間の罪を全て負って死んで下さった為に、神と人間との間に初めて和解が可能になりました。
 「もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです」(ローマ5:10)。
 しかもこの和解と救いの時に神はご自分の属性でもある「永遠のいのち」を賜物として人間に与えられました。それによって神は人間を喜び、人間も罪とその結果としての死から解放され、喜びに満たされたわけですから、これはバトナ(神による和解策)による神と人間双方の満足度が一致して、パレート最適となったわけです。
 ではそのバトナとなられたキリストはどうか。この世に人間のかたちをとって遣わされた時点で、神はウインで変わりありませんが、キリストはウインからルーズとなり、人間(勿論ルーズ)と同じレベルまで下られたわけです。そして一見敗者として十字架にかけられましたが、三日目に甦り(=福音)、その後昇天して、現在父なる神の右に座しておられます。キリストはルーズから再びウインとなられたのです。もう二度とルーズになられる事はありません。
 こうしてキリストを信じた信仰者は神の偉大な恵みで再び交わりを取り戻しましたが、いかんせんまだ地上に肉体があり、救われた後も罪を犯します。その時神との交わりが一時的に絶たれ、合意可能領域(ゾーパ)に移ります。でも救いを喪失する事はありませんから、正直にその罪を告白する事によって再びパレート最適の領域に移ります。このゾーパがなくなるのは信徒が天に召された時です。楽園は復活し、世々限りなくパレート最適関係が続きます。
 世の交渉学では絶対出て来ず、世の人々が「アホ」と呼ぶような事を考えてみました。