ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

マンネリを排してやる気を起こすには、脳の淡蒼球(たんそうきゅう)を刺激する事

 上大岡トメさんの本を読んだついでに、『のうだま やる気の秘密』という本も読みました。共著者は脳研究第一人者である池谷裕二氏です。
 池谷氏はまだ40代の若さですが、『海馬』『進化しすぎた脳』『単純な脳、複雑な「私」』などの著作で、複雑な脳の事を実験成果も踏まえ、私たちに実に分かりやすく語りかけている俊英です。
 上大岡さんはこれらの本に目を留め、早速東大の薬学部に池谷氏を訪ね、題にある「淡蒼球」の事について質問し、分かった事を漫画でうまく纏めています。漫画が威力を発揮する本です。「のうだま」だけだったら、はて?何かオカルト関係かなと思ってしまいますが、そうではありません。
 私たちは「やる気を起こす」時、或いはマンネリ化してすぐ飽きてしまう時、全て脳がそれを指令しているのだと思ってしまいます。ところが池谷氏によれば、それは違います。やる気はいつまで待っても脳の中からは出て来ないそうです。なぜなら脳は頭蓋骨に閉じ込められているので、外の事は全くわからないからだそうです。そこでまずは身体を動かす事、それによって「作業興奮」が生じ、脳は活性化して行くのです。やる気にスイッチを入れるのが「カラダ」です。
 つまりやる気が出たからこぶしを上げるのではなく、こぶしを上げるという身体の動きにつられて脳は「だまされ」、やる気が出て来るという事です。
 これは経験的に分かります。例えば朝起きようと思っても非常に寒いしまだ眠たい、けれども思い切って起き上がり、食事の支度を始める、そうするといつの間にか「やる気」が出て来て、もう快調に飛ばせます。寒い冬の晩食後の運動、気乗りしなくても思い切って外に出て歩き始めれば、ルンルン気分になれます。
 そしてそのやる気は脳のどこにスイッチが入ったから、そうなるのでしょうか?それこそ「淡蒼球」という部位なのです!左図トメさんのイラストです。

 赤い線で引っ張ったところにあります(私の下手な改変ですみません)。そしてこの淡蒼球のスイッチは「カラダ」を動かす所、即ち運動野(スイッチ1)だけでなく、他に3つあります。
 それは「いつもと違うことをすることで入るスイッチ」で、有名な海馬という部分にあります(スイッチ2)。仕事がマンネリ化し飽きてやる気を失った時、とにかくいつもと違う事をするのです。トメさんのイラストでは、いつもエレベーターを使っていたとすると、階段を使ってみる、それも音楽を聴きながらやってみるという事です。下車駅より一つ手前の駅で歩くのもそうです。
 それから「ごほうび(快感)によって入るスイッチ」で、テグメンタという部分にあります(スイッチ3)。「脳の腹側被蓋野」などと訳されていますが、カタカナで理解出来れば十分だと思います。これも経験的に良く分かります。もうやめたいと気が挫けそうになった時、目の前にごほうび(金、美味しい食べ物、好きな音楽を聴く等々)があれば、もう少し続けようとしますし、頑張ってそれをもらえば「快感〜!」となり、さらに続けられます(そのマイナス例は、麻薬などの依存症)。
 さらに「なりきることによって入るスイッチ」で、いわゆる前頭葉にあります(スイッチ4)。このなりきるとは、例えば自分が猛勉強して東大に入りたいと思う時、合格して東大生になりきった自分を想定するという事です。そのほうが駄目かも知れないというマイナスの気持ちを打ち消し、大いに淡蒼球を刺激し、やる気を増幅させる事になります。
 それらは図では青線で引っ張って示してあります。淡蒼球はこれらのスイッチのうち、どれ1つでも「騙されて」動き出します。この本の後半はその「とにかくやってみること」のノウハウが書かれています(ここでは省略)。
 こうして「やる気」が出て、持続させ、それを繰り返していると、その習慣は図の海馬の上にある「線条体」というところで定着します。脳では無意識の領域ですが、この習慣の輪に入ってしまえば、ず〜と続けられます(習慣の輪)。逆にやらないと「物足りない」と感じ(歯磨きの習慣等)、実行で成果が出て、もっとやる気になるそうです。ですからこの線条体が損傷を受けると、様々な病気になります(例としてADHD=子供の発達障害などがネットに出ています)。
 聖書でこの事を熟知しており、実行されたのがイエス・キリストです。
 「さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた」(マルコ1:35)。
 まず早起きし、とにかく雑音の無い寂しい所や山へ移動されました。それにより淡蒼球が刺激され、父なる神への祈りがずっと続けられたのです。また福音伝道でユダヤの地のあらゆる場所に移動し、多様で異なった伝道方法を用いられました。しかしそのごほうびは十字架ですから、そこに架けられた自分になりきり、ますます真剣に行動されました。でも最後は復活し昇天して、父なる神から栄冠のごほうびを頂きました!