ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

福島ほぼ原発事故から1年復興ほぼ絶望

 2012年2月16日の朝日新聞は、「福島帰還 薄れる希望」という題で記事を載せていました。
 まもなく東関東大震災から1年になろうとしていますが、原発事故の為一時的に避難した人々へのアンケート調査が続けられていて、「震災前に住んでいた地域に戻りたいですか」という質問に対する昨年6月、9月、今年2月の結果がグラフで出ていました。
 それによりますと、自宅に戻りたいと答えている人々が58パーセントあるものの、実際には汚染された土壌等の除染作業が進まず、再就職も難しく、原発の炉自体安定せず引き続き放射能への不安もあって、相当希望が薄れて来ているそうです。今後の対策次第では上記の比率はさらに減少し、別の場所での生活を視野に入れている人々の数が増加しています。
 この調査に関わっている福島大学の今井照教授は、「被災者の願いはただひとつ、原発災害前のなにげない日常生活を返してくれ、ということである」と述べています。原発被災地域の除染作業で、現状回復を何より望んでいるのです。
 しかし南相馬に住んでいる私の友人に聞いて見たところ、原発災害による補償請求の問題一つとっても、住民同士のいがみ合いがすごく、かつての強い絆もずたずたになっているそうです。
 土地は枯れ、地域住民の間で分裂が生じている…。深刻な問題です。福島は有数の農業県であると思いますが、土壌が汚染され、放置した結果雑草がはびこるという中、どうやって現状回復が出来るでしょうか?人為的行為でこれほどの難局をもたらしたものは、かつて無かったと言って良いでしょうし、核廃棄物処分でもいまだその最終的な解決策は未定のままなのです。
 この事態聖書の主である神は相当怒っておられると思います。1年もの土地の「遊休状態」について、旧約のレビ記25章には「安息の年」の詳しい規定があります(*既に出エジプト記にも出て来ます)。それによりますと、イスラエルは約束地で6年間種を蒔き収穫する事になりますが、7年目について次のような規定がありました。
 「七年目は、地の全き休みの安息、すなわち主の安息となる。あなたの畑に種を蒔いたり、ぶどう畑の枝をおろしたりしてはならない」(レビ25:4)。
 つまり七年目の年は、地が完全に「遊休状態」となり、農耕が1年間禁止になりました。
 するとどうでしょうか?福島の原発被災地ではみじめな雑草繁茂の状態に陥りましたが、約束地カナンでは、そういう事はありませんでした。イスラエルは当然「もし、種を蒔かず、また収穫も集めないのなら、私たちは七年目に何を食べればよいのか」と不安に思いました。しかし神はこの土地を祝し、次のように言われました。
 「わたしは、六年目に、あなたがたのため、わたしの祝福を命じ、三年間のための収穫を生じさせる。あなたがたが八年目に種を蒔くときにも、古い収穫をなお食べていよう。九年目まで、その収穫があるまで、なお古いものを食べることができる」(レビ25:21−22)。
 つまり神が安息状態のこの土地をずっと守り、6年目の収穫で、7年目だけでなく翌年も翌々年も民への糧の安定供給がある事を宣言されたのでした。7年目の地の安息は、かえってその後の「食糧のためになる」のでした。しかもかりに売った土地があっても、1年間は買い戻しの権利が生じ、いかなる貧しい人でも土地の所有が可能になりました。さらに奴隷状態の人々も解放され、雇い人となる事が出来ました。この措置で貧しい人々も豊かな人々も等しく主の恵みを享受する事が出来たのです。
 世の経済学者もこの特異な制度を礼賛していますが、実際どれほど実施されてきたかはよく分かっていません。
 翻って福島の農地は安息状態どころか、放射能汚染にまみれています。人為的なミスの積み重なりで、土地はますます呪われた状態になりました。神のみこころに反した東電の責任は極めて重いと言わざるを得ません。