ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

福島県双葉郡川内村の中にある「獏原人村(ばくげんじんむら)」での生活

 福島原発から西側に当たる川内村については、既にたくきよしみつ氏の『裸のフクシマ』を読んだ時覚えたところで、既にその本についてブログで紹介した事があります(http://d.hatena.ne.jp/hatehei666/20111230/1325237758)。
 その時はあまり余白がなく、その村の中にある「獏原人村」について書く事が出来ませんでした。ここしばらく朝日では、そこに住む人々の様子を「プロメテウスの罠」という連載の記事で取り上げていました。
 この村の中の村、まさに豊かな自然が広がっていても、インフラが整ってない為、電話も電気も水道もありません。そこで生活しようとしたら、都会慣れしている私たちは相当な覚悟が必要でしょう。しかも原発事故で地域全体では放射線量は少なくても、ところどころ線量の高いホットスポットがあります。

 連載13回目で、ちょくちょく名前のあがっていた住人風見正博氏が登場します。現在61歳、科学技術に憧れ、東大を目指して猛勉強していたところ、全共闘活動で初めて入試が中止になり、そこを諦めて島根大学に進学しました。
 その後いろいろ考えるところがあって、1970年半ばに川内村に定着しました。

 全く何もない所で一から始めるわけですから、それまで培った科学技術の知識の数々が生きました。まず電話が通じないという事で、「アンテナにつなげば携帯電話も使える」と分かってそれを実行、次に電気ですが、以前はランプを利用し、その後たぶん自作の太陽光パネルで電気を作りました。さらに水道ですが、水がなければ山へ行って水を引いて来るという事で確保しました。勿論家は雑木や廃材を使って自分で建てました。
 風見さんは奥様の他子どもたちが3人います。完全に自給自足の生活とは行かないので、鶏を飼うようにしました。その卵を売って月収は10万、もう5万欲しいところですが、そこは我慢、都会のようにモノが溢れて目移りするような事は無く、自由で充実した生活を送っていました。
 ところが昨年の3月11日の大震災、しかし備えあれば憂いなしでした。1986年のチェルノブイリ原発事故がきっかけで、放射能測定器(R−DANと言うガンマ線検知器)を購入していたので、線量を測り、一時奥様の実家のある茨木県坂東市まで避難しましたが、再びこの村に戻って来たのです。勿論線量は少し高いですが、風見さんはここに留まり、不便ながら元の生活をしています。その間の事情はhttp://shizenran.jp/archives/1473で、「原発と私」の題で読む事が出来ます。
 逃げるべきか残るべきか、食べるべきか捨てるべきか、ハムレットの問いをしながら、とにかく生活を続けています。
 その風見さんが朝日で電気の事を語っています。太陽光パネルを取り付けたものの、足りなくなる事があります。ですから電気に合わせての生活となるわけですが、「だって本来は太陽に合わせて暮らしてきたわけだから」と語りました。これが大切です。

 聖書では、創世記に次のような記事があります。
 「ついで神は、『光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のために、役立て。天の大空で光る物となり、地上を照らせ。』と仰せられた。するとそのようになった。それで神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。また星を造られた。神はそれらを天の大空に置き、地上を照らさせ、また昼と夜とをつかさどり、光とやみとを区別するようにされた。神は見て、それをよしとされた。こうして夕があり、朝があった。第四日」(創世1:14―19)。
 この二つの光るものが太陽と月ですが、それに合わせて人々は生活のリズムを刻んで来ました。神話などとバカにしないで下さい。創造主のこの偉大な営みがあったからこそ、今私たちは地球上で生かされているのです。この恵みを感謝するべきではありませんか?