ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

19世紀フランスの政治思想家トクヴィルを現代に甦らせた内田樹氏

 アレクシス・ド・トクビル(1805〜1859年)は、有能な政治家でしたが、フランス革命で親族のかなりを処刑された為、その後思想家に転じて、アメリカを旅し、有名な『アメリカの民主主義』を書きました。

 2005年内田樹氏が『街場のアメリカ論』を書いた時、そのトクヴィルが19世紀アメリカを見て書いた事が今なお現代のアメリカにも通じる事が多々あるのを知り、それを基礎に大胆なアメリカ論を展開しています。
 私は2005年がトクヴィルの生誕200年を迎えた事で朝日記者が書いた内容をスクラップしておき、分厚い大著なので予算関係上から、ペンギンブックシリーズに収まっている英文のものを入手し、読んだ事があります。途中までしか読めなかったと思いきや、今回内田氏の著作と比較する為、書棚から取り出したところ、最後のページあたりに赤線が引かれていて、とにかく通読はしたようです。
 内田氏の本は全11章の全てにトクヴィルが登場してはいませんが、現代のアメリカに通じる事柄を甦らせています。その主張の全てに賛同するわけではありませんが、キラリと光る箇所が多くあります。
 2つの章に絞り、検討します。第六章の「子ども嫌いの文化」と、第九章の「福音の呪い」です。
 まず子ども嫌いの文化論では、清教徒たちがアメリカに移住して以来、児童虐待という長い歴史があった事を述べています。それによりますと、日本と異なり、アメリカでは子どもを「純真」「無垢」な存在として尊ぶ文化が形成されなかったというのです。内田氏は旧約のモーセ5書における戒律の出て来る箇所を丁寧に調べ、「子どもに対する親の愛と保護」についての規定がないと言っています。それを例証する如く、創世22のアブラハムによる息子イサクのいけにえの箇所を挙げています。
 「ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした」(創世22:9−10)。
 淡々とした記述ですが、内田氏はここで清教徒たちと同じ気持ちで受け取ったのでしょうか?でも私は聖書に関する限り、その全巻から調和すべき形で引用しないと間違う恐れがある事を学んでいます。基本的には詩127:3にもあるように、「見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である」。
 新約聖書イエス・キリストは「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです」(マタイ19:14)と言われ、へりくだる子どもたちを礼賛されました。「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい」(エペソ6:4)という箇所もあります。
 もし内田氏の主張のように子ども嫌い=虐待の文化が長く米国に続いていたとしたら、それは米国聖職者たちが聖書の偏った読み方をして来たからだと考えられます。
 次に福音の呪いです。アメリカは今ではどんどん無宗教の人々が増えているものの、まだ世界に冠たる宗教国です。いつの統計だったか忘れましたが、北米人口の7億6千万人が信徒で、米国全体でも人口の80パーセントを占めているそうです。内田氏によれば宗派としてはプロテスタントカトリックだけで83パーセントもある事になります。そうした背景がある為、歴代大統領はケネディカトリックを除くと、ずっとプロテスタントでした。それ故米国ではキリスト教以外の大統領を考える事が出来ません。大統領候補は常にその事を意識しています(今度の候補でミット・ロムニー氏はモルモン教で、福音主義的な保守派からは異端と見られています)。
 そこで今度内田氏の本で学んだ最大の事は、一見政治に宗教が入り込んでいるというように見られるのが、トクヴィルに言わせるとそうではなく、実はアメリカは完全な政教分離を果たしている という事です。それは宗教が政治的影響を断念したという事ではなく、「全ての政治勢力に等しく祝福を送り、その霊的威信の保証人の座を永続的に確保しということなのです」。ですからアメリカ大統領はどのような政治的立場にあろうと、キリスト教の教えから踏み出すことは許されていません。
 それで9・11以後ブッシュがイラク戦争を始めた時は、「政治的理由」より「宗教上の理由」によるものだと言われていました。内田氏はそれは当然だと言うわけです。
 「見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、『忠実また真実。』と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる」(黙示19:11)は、まだ現代に適用出来ません。将来の事柄です。しかしそれを知らないブッシュは、こうしたセルフ・イメージを持って邪悪な敵たちと闘った事になります。現在行なわれている共和党大統領候補たちのオバマ非難を見ると、やはり聖書全体から見ておらず、極めて醜悪で稚拙な感じがします。
 日本は圧倒的にクリスチャン人口が少ないですが、こと聖書に関する限り、全66巻をバランスよく読むようにし、どこか一箇所だけ取り出してこうだと言ってはならない事を浸透させており、この点だけははなはだ偏った読み方をする米国より優っているという「逆説」を私は提唱したいと思います。