ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

現代アフガンの長い戦争の歴史

 天天日記でmm3493さん(http://d.hatena.ne.jp/mm3493/20120312#1331555983)が紹介された山本芳幸著『カブール・ノート戦争しか知らない子どもたち』は、iireiさん(http://d.hatena.ne.jp/iirei/)さんのコメントがきっかけだったそうですが、私も図書館で借りて読みました。非常に優れた本で、学んだ事を若干紹介しながら、聖書との関連を探ってみたいと思います。
 この本がなぜ大切なのか?その中にパレスチナ出身のクリスチャンで故エドワード・サイード氏の事が出て来たからです。サイード氏は代表的な『オリエンタリズム』という本の中で、歴史的・地理的・文化的実体である「西洋」と「東洋」の区分が、人間によって作られたものであるという事に基づき、自説を展開しています。氏は生まれ故郷から米国に渡り、長らくコロンビア大学比較文学を教えた経験から、身近に支配者側である米国の論理を読み解き、この本を書いたと思います。同様に山本氏も、このオリエンタリズムこそ、「西洋」が「東洋」を植民地的・帝国主義的に支配しようとする「西洋」側の意志表示であるというサイード氏の主張を踏まえ、一方的な宣伝と攻撃をして来る欧米の理不尽さを、アフガンの地で実感したわけです。
 山本氏は国連難民高等弁務官として、アフガンでとりわけタリバン戦士との付き合いが長く、彼らが非常に礼儀正しく、生活は質素、態度が謙虚である事をよく知っています。またアフガン住民も彼らが略奪や強姦をせず、住民を虐待しないので歓迎している事実も知っています。一方農業用水路を作り、井戸掘りをし、学校建設まで精力的にこなし、持続的に支援し続けている中村哲医師も、アフガン人の中にしっかり根を下ろしており、彼らの事を熟知しています。

 しかしかの有名なオサマ・ビン・ラディンがアフガンに入り、2001年9月11日の米国同時多発テロ事件が発生した後、様相はがらりと変り、米国は彼の引渡しをタリバン政権に求め、拒否されると「テロ支援国家」として一方的な攻撃を始め、2ヶ月後にタリバン政権を倒し、現在のカルザイ政権に移行させました。左写真はhttp://fireblueweb.blog108.fc2.com/blog-entry-110.htmlからお借りしました。
 あのアフガン戦争の時行なわれた米国の大々的宣伝を私たちは忘れていません。アフガンはテロリストたちを匿い、彼らを養成している恐ろしい国であるといったイメージが、あらゆるメデイアを通して私たちの心に定着してしまったと思います。実際には上記したように、彼らにもれっきとした歴史的・地理的・文化的営みがあり、山本氏や中村氏らから見れば、心優しい人々なのです。この本の最後にある彼ら兵士たちと山本氏の熱い抱擁と握手による別れは感動的です。
 これからしてもサイード氏の言うように、世界の或る地域を理解しようとするなら、圧倒的な欧米の歴史観・文化観などがいかに偏見に満ち、間違っているか、という事を知悉する必要があります。
 振り返ってみますと、このアフガンという国、1979年にソ連が侵攻し、10年に及ぶ長い戦争が続きました。ソ連撤退後はアフガン人同士の内戦が続き、1994年にタリバンが登場します。彼らはそれ以前の戦士たちと同じく、「戦争しか知らない子どもたち」でした。彼らは7年後に崩壊するまでは、向かうところどこでも、抵抗する敵が居なくなり、「無敵神話」が出来つつあったそうです。連戦練磨、まさに「戦争を知らない子どもたち」の対極を成す人々でした。
 この事を聖書との関連で考えると、まさにヨシュア記で約束地カナンに入った若い世代の人々と良く似ています。彼らの一つ上の世代は神への重大な背反から、40年の間荒野を彷徨い、遂に死滅しました。しかし今ヨシュアを指導者とする世代が、ヨルダン川を渡り、約束地に入りました。でもそこでの生活は安泰なものではありませんでした。主はこう言われました。
 「見よ。あなたの神、主は、この地をあなたの手に渡されている。上れ。占領せよ。あなたの父祖の神、主があなたに告げられたとおりに。恐れてはならない。おののいてはならない」(申命1:21)。
 こうして彼らは約束地で敵とずっと戦い続けました。ヨシュア記全体を見れば、彼らもまた「戦争しか知らない子どもたち」のようでした。しかし彼らの行くところどこでも「無敵」でした。敵は「忌むべきもの、木や石や銀や金の偶像」に満ちていて、主は嫌い、主が先頭に立って闘われたからです。そして彼らは基本的に占領を終えて、それぞれ相続の地を得たのです。
 翻ってこの世の若い人々も、厳しい競争時代の中、ますますこうした戦いしか知らない世代(幼い時から受験戦争・就活戦争・企業戦争を強いられています)となっているようです。彼ら戦士を支えるのが聖書のみことばであると言っておきます。